インディアス
Las Indias
スペイン人が発見,征服,植民した地域の総称。おおむね現在の西インド諸島,南アメリカ,北アメリカの一部およびフィリピン諸島を指す。もともとインディアスとは現在のインド,中国,日本などを含めた東アジア地域の総称で,新大陸を指すものではなかった。中世ヨーロッパにおいては,世界はヨーロッパ,アフリカ,アジアの三大陸から成るというのが通説であり,中でも東アジアの地理については空想の域を出なかった。14・15世紀の地理学者の描く東アジアの地図は不正確で,インド半島などはほとんど省かれていた。したがってコロンブスが西方航路で目指したのは現在のインドではなくて空想的な東アジア,つまりインディアスであった。しかもコロンブスに大きな影響を与えたピエール・ダイイの《世界の姿Imago mundi》には,インディアス一帯には怪獣や一つ目の人間などが住むと説かれていた。こうした地理知識にもとづいてコロンブスは西方航海に乗り出し,1492年10月,グアナハニ島(現,ワトリング島)に到達し,そこに住む原住民を〈インディアスの人びと〉つまり〈インディオ〉と呼んだ。コロンブスは終生インディアスに到達したという誤った信念を捨てなかった。こうして,コロンブス以降数多くのスペイン人が西方航海を企て,次々と未知の島々や陸を発見,征服,植民することになるが,それらの地域はすべてインディアスと総称され,スペイン国王は19世紀初頭に至るまで〈インディアスの王rex Indiarum〉の称号のもとに,臣下である〈インディオ〉をインディアス枢機会議を介して統治したのである。なお〈アメリカ〉という呼称は1507年にマルティン・ワルトゼーミュラーがアメリゴ・ベスプッチの報告記をもとに,インディアスを新大陸とみなしてそれに付した呼称である。
→新世界
執筆者:染田 秀藤
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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「インディアス」の意味・わかりやすい解説
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インディアス
Indias
インディアスはインディアの複数形であり,中世末期に再興されたプトレマイオスの世界地図書のなかで,アジアのほぼ全域に与えられた名称である。基本的に,ガンジス内のインディアとガンジス外のインディアに分けられていたが,その他大きな特徴として,アジアの東端に南半球にまで達する半島状の大陸塊があると信じられ,それにも北インディア,中央インディア,南インディアなどの地名が割り振られていた。大航海時代の初期に,この大陸塊はしばしば南アメリカに対応するとみなされていた。要するに15~16世紀において,インディアスとはアジアであり,インディオ,インディアンはアジア人と同義だった。スペイン王室は長い間インディアスという名称にこだわり,アメリカ大陸の統治機関をインディアス諮問会議と呼び,そのための立法した法をインディアス法と呼んだ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典(旧版)内のインディアスの言及
【アコスタ】より
…87年帰国後バリャドリードのイエズス会修道院長となり,97年サラマンカに移って同地の学院長となり,在職のまま病没した。 アコスタの主著《新大陸自然文化史Historia natural y moral de las Indias》(1590)は,アメリカ大陸の自然と文化を総合的に述べたもので,メキシコ,ペルーの原住民文化に関する貴重な記述を含むと同時に,当時インディアスと呼ばれた“新世界”を,既知の世界誌の体系の中に理論的に位置づけようとする思想史的意義も大きかった。同時代の[G.F.オビエド]やアントニオ・デ・エレラAntonio de Herreraのインディアス史に比べて,はるかに系統的客観的である点が特色である。…
【アメリカ】より
…コロンブスは第1回航海でバハマ諸島,キューバ,イスパニオラ島を発見し,98年の第3回航海で南アメリカ大陸本土に接触している。彼はアメリカを[インディアス](アジア)と信じ,南アメリカ大陸の存在を知ったときにも,それが東アジアの既知の部分すなわちカタイ(中国)に接続する新しい大陸と考えた。コロンブスのインディアスが実はアジア,ヨーロッパ,アフリカ以外の第4の大陸であると認識し,それをアメリカと命名したのは,アメリゴ・ベスプッチの航海記にもとづいて世界地図に初めて新大陸を書き加えたマルティン・ワルトゼーミュラーであった(1507)が,その後もアメリカとアジアの地形的関係については,1世紀以上も,さまざまの誤解や誤謬が尾を引いた。…
【新世界】より
…もっとも,アメリカという呼称は当初限られた地域(例えばブラジル,アルゼンチン,チリ)に用いられ,それを大陸全土に適用したのは有名な地図製作者メルカトルである(1538)。しかし,スペインおよびその植民地では19世紀にいたるまで[インディアス]という言葉が一般に用いられた。〈新世界〉という呼称は以後数多くの著述家によって用いられることになるが,それは厳密な地理学上の用語というよりはむしろ,ヨーロッパ人によって新しく発見された世界,ヨーロッパ人からみて,自分たちとはまったく異なる人間,自然,文化が存在する異質な世界という意味で用いられることが多かった。…
【スペイン帝国】より
…他方,13世紀以来アラゴンとフランスが覇権を争ってきたイタリア南部でも,フェルナンドはカスティリャの軍事力をてこに俄然優位に立った。 しかし,後の〈スペイン帝国〉成立を決定的にした最大の事件はなんといっても[インディアス]の出現だった。グラナダ征服を終えたばかりのカトリック両王が,一介の外国人船乗りコロンブスと交わした多分に投機的な性格の約定書がはからずももたらしたこの未知の土地こそは,その広さと人口と富からしてスペインに帝国としての実体を付与するものだった。…
【副王制】より
…構成各国が独自の体制を維持しつつ,ひとつの王権を共有するという特異な連邦国家を形成した[アラゴン連合王国]の統治制度。16世紀以降[インディアス]でも施行された。1137年,イベリア半島東部アラゴン王国の王女ペトロニーラとカタルニャ伯[ラモン・ベレンゲール4世]が結婚,これによって以後両国は〈アラゴン連合王国〉と呼ばれる連邦国家となった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」