改訂新版 世界大百科事典 「イーゴリ」の意味・わかりやすい解説
イーゴリ
Igor'
生没年:?-945
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ロシアのノブゴロド・セーベルスキー公。のちチェルニゴフ公。当初、遊牧民ポーロベツ人を味方にして同胞と戦うなどしたが、1185年ロシアの地を守るべく他の諸公と同盟し、ポーロベツ人に対する遠征を企てた。しかしこの遠征は失敗に終わり、彼は囚(とら)われの身となる。中世ロシア文学最高の作品『イーゴリ遠征物語』は、この事件を歌ったものである。イーゴリはその後脱走し、戦いを続行した。
[栗生沢猛夫]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…キエフ・ロシアの叙事文学の代表的作品。南ロシアの諸公のひとりイーゴリIgor’(1151‐1202)が1185年にチュルク系遊牧民ポロベツ族に対して行ったステップへの遠征を題材としている。戦いに敗れて捕らえられたイーゴリがロシアへ帰還したのち,遅くとも87年までに成立した。…
…キエフの支配者アスコリドとジール(兄弟の公)による860年のコンスタンティノープル攻撃の遠征は,ビザンティンの人びとにも強い印象を残した。北のノブゴロドには,スラブ人の公ワジムを征して権力を握ったノルマン人の伝説的首長リューリクがいたが,その死後,遺児イーゴリを奉じた従士団の長オレーグ(在位882‐912)の軍勢が南下進攻を始め,アスコリドとジールを倒して都市国家キエフの支配者となった。これが882年のことであり,北のノブゴロドと南のキエフは,名目上は単一のリューリク朝君主の共通の支配下に入り,ここに全ロシア的なキエフ・ロシアが誕生するのである。…
…キエフの支配者アスコリドとジール(兄弟の公)による860年のコンスタンティノープル攻撃の遠征は,ビザンティンの人びとにも強い印象を残した。北のノブゴロドには,スラブ人の公ワジムを征して権力を握ったノルマン人の伝説的首長リューリクがいたが,その死後,遺児イーゴリを奉じた従士団の長オレーグ(在位882‐912)の軍勢が南下進攻を始め,アスコリドとジールを倒して都市国家キエフの支配者となった。これが882年のことであり,北のノブゴロドと南のキエフは,名目上は単一のリューリク朝君主の共通の支配下に入り,ここに全ロシア的なキエフ・ロシアが誕生するのである。…
※「イーゴリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
昆虫綱半翅目(はんしもく)同翅亜目セミ科Cicadidaeの昆虫。体長は雄32~39ミリメートル、雌23~28ミリメートル。体は黒色で、茶色や緑色の斑紋(はんもん)がある。雄の腹部は大きく、空洞で、発...
7/28 化学辞典 第2版(森北出版)を更新
6/26 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/17 デジタル大辞泉プラスを更新
4/17 デジタル大辞泉を更新
2/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新