ウィスリツェヌス(英語表記)Wislicenus, Johannes Adolf

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウィスリツェヌス
Wislicenus, Johannes Adolf

[生]1835.6.24. チューリンゲン,クライネイヒシュテット
[没]1902.12.5. ライプチヒ
ドイツの化学者。ハーバード,チューリヒに留学。チューリヒのスイス連邦工科大学教授 (1861) ,ライプチヒ大学教授 (85) 。 1873年乳酸の研究から幾何異性を発見。またアセト酢酸エステルの合成研究でも知られる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ウィスリツェヌス【Johannes Adolf Wislicenus】

1835‐1902
ドイツの有機化学者。父親の亡命に伴い一時アメリカに渡るが,1856年にヨーロッパに戻る。その間,各地の大学で化学を学び,61年チューリヒ工科大学教授,72年ビュルツブルク大学教授,85年A.W.H.コルベを継いでライプチヒ大学教授。1873年2種の乳酸が原子の空間配置の違いによる異性体であることを示し,これにヒントを得てJ.H.ファント・ホフが提唱した正四面体説を支援した。87年リンゴ酸の加熱脱水で得た二重結合をもつ2種の酸,フマル酸マレイン酸の研究からシス‐トランス異性をはじめて明らかにした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ウィスリツェヌス
うぃすりつぇぬす
Johannes Wislicenus
(1835―1902)

ドイツの有機化学者、立体化学の研究の先駆者。父親が自由思想の持ち主であったため、三月革命後、1853年ハレ大学在籍中に家族でドイツを追われ、アメリカに移住した。ハーバード大学の助手となり、1855年ニューヨークに化学分析所を開いた。ヨーロッパの政治の風向きが変わったため1856年に帰欧し、ハレ大学で研究を続けた。1867年チューリヒ工科大学教授、1872年ウュルツブルク大学教授を歴任ののち、1885年にコルベの後任としてライプツィヒ大学教授となる。
 チューリヒ時代から乳酸の研究に取り組み始め、1869年、同じ化学式をもちながら、光学活性を示す乳酸と示さないものとがあるのは、その原子グループの空間的配置が異なるためであると主張した。これはそれまでの古典的な化学構造論の枠を破る画期的発想であった。1873年、化学構造は同じでも幾何学的配置の異なる異性体を、幾何異性体と命名した。翌1874年、オランダのファント・ホッフが、この着想を足掛りに、立体化学の基礎となる有名な論文を発表すると、ケクレやコルベなどの大家をはじめ学界が冷たい反応を示すなかで、彼はこの論文を称賛し、ドイツ語に翻訳して紹介した。合成化学者としても教育者としても優れた業績を残した。[藤田千枝]

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