ウプサラ大学(読み)ウプサラだいがく(英語表記)Uppsala Universitet

精選版 日本国語大辞典 「ウプサラ大学」の意味・読み・例文・類語

ウプサラ‐だいがく【ウプサラ大学】

  1. ( Uppsala Universitet ) スウェーデンの南東部、ウプサラにある総合大学。一四七七年開校。スウェーデン最古の大学

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウプサラ大学」の意味・わかりやすい解説

ウプサラ大学
うぷさらだいがく
Uppsala Universitet

スウェーデンのウプサラにある北欧最古の大学。創立は1477年にさかのぼる。16世紀末には宗教上の抗争により一時閉鎖されたが、1595年プロテスタント系の大学として再興された。とくに発展をみたのは17世紀初頭のグスタフ・アドルフ2世治下であり、ヨーロッパ一流の大学の地位を築いた。1960年代にスウェーデンでは大学改革が行われ、大学の地域化、入学政策の弾力化が図られてきたが、ウプサラ大学はつねに保守的立場をとってきた。そのため規模の面ではストックホルム大学ルンド大学に追い越されているが、研究水準の面では同国の最高峰にある。

 1999年現在、学部構成は、中世大学以来の神学部と、法学部医学部文学部(歴史哲学、言語学)、社会科学部、理工学部数学、物理学、生物学、地球科学、化学)、薬学部の7学部である。付属施設として国際的に著名な地震研究所がある。教員数約1800人、学生数約2万8000人。

[馬越 徹]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

大学事典 「ウプサラ大学」の解説

ウプサラ大学[スウェーデン]
ウプサラだいがく

1477年に設立された北欧最古の大学。スウェーデンの首都ストックホルムから北へ40㎞ほどのウプサラ市に所在する。設立当初は,学生50人とごく少数教授のみという小さな規模であった。経営基盤が不安定な状態が長く続いたが,17世紀にグスタフ2世アドルフが大学に寄進を行ったことにより,財政・経営が安定し,欧州でも屈指の研究大学としての礎を築くこととなった。高等教育の大衆化が進んだ今日においても,研究水準の高い大学として認知されている。当初,神学,法学,哲学の3学部であったが,現在,人文・社会科学,医薬学,理工学の3学系のもとに9学部(人文学部,社会科学部,言語学部,神学部,法学部,教育学部,医学部,薬学部,理工学部)に拡大している。2014年現在,約4万人の学生(うち2万4000人がフルタイム学生)が学んでいる。
著者: 渡邊あや

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウプサラ大学」の意味・わかりやすい解説

ウプサラ大学
ウプサラだいがく
Uppsala Universitet

ウプサラにあるスウェーデンの代表的な共学制国立大学。 1477年ローマ教皇の認可を得て創設。北欧で最も古い歴史のある大学。 16世紀に宗派的抗争のため一時閉鎖されたが,1595年プロテスタント主義の大学として再興。現在神学,法学,医学,人文科学,社会科学,理学,薬学などの学部から成る。教員数約 1600名,学生数約2万 1000名 (1997) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のウプサラ大学の言及

【ウプサラ】より

…ウプサラ大聖堂は,13世紀に建築がはじまり,1435年に聖別され,19世紀にほぼ完成したスウェーデン最大のゴシック建築である。ウプサラ大学は,この国のデンマークにたいする独立闘争という国民主義を背景に,北欧最古の大学として発足した(1477)。グスタブ2世アドルフ以来の国王の特別な庇護をうけた大学図書館は,三十年戦争中にスウェーデン軍が大陸から戦利品としてもち帰ったものをふくめ,膨大な手写本コレクションを蔵する。…

※「ウプサラ大学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android