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ウルブリヒト ウルブリヒトUlbricht, Walter

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウルブリヒト
ウルブリヒト
Ulbricht, Walter

[生]1893.6.30. ライプチヒ
[没]1973.8.1. ベルリン
東ドイツの政治家。 1912年ドイツ社会民主党入党,第1次世界大戦スパルタクス団に属しドイツ共産党結成運動に参加。 A.ヒトラーの政権掌握後プラハ,パリ,モスクワに亡命したが,ドイツ降伏直前の 45年4月末帰国し,ドイツ共産党組織の再建とソ連占領下のドイツの行政機構樹立に活躍した。

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デジタル大辞泉の解説

ウルブリヒト(Walter Ulbricht)

[1893~1973]ドイツの政治家。1919年、ドイツ共産党に入党。第二次大戦後、旧東ドイツ地区に社会主義統一党を結成し書記長に就任。ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立以後は副首相、国家評議会議長などを歴任した。

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百科事典マイペディアの解説

ウルブリヒト

ドイツの政治家。1912年社会民主党に加入,スパルタクス団を経て1919年共産党に加わり,テールマンとともに党を指導。1933年ナチスに追われ,モスクワに亡命して自由ドイツ国民委員会を創立。
→関連項目ドイツ民主共和国ホーネッカー

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世界大百科事典 第2版の解説

ウルブリヒト【Walter Ulbricht】

1893‐1973
ドイツ労働運動指導者。木工職人の出身で1919年ドイツ共産党に入党,28年国会議員となるが,33年フランス,のちにソ連に亡命。45年帰国,50年ドイツ社会主義統一党書記長(‐1971)となり,以後一貫して党を指導。60年ピークの死後ドイツ民主共和国(東ドイツ)国家評議会議長(事実上の元首)となる。大衆には人気がなかったが,強い意志で同共和国の強化につとめる一方,ドイツ再統一の夢をも追い続けた。【下村 由一】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ウルブリヒト
うるぶりひと
Walter Ulbricht
(1893―1973)

ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の政治家。ライプツィヒ生まれ。1912年社会民主党に入り、1919年ドイツ共産党に参加。1921年地方組織の専従員、1923年中央へよばれて組織局と軍事委員会に所属した。1924~1927年たびたびモスクワへ行きコミンテルン組織局で訓練を受ける。1928年帝国議会議員。1933年に亡命、1938年までパリにおいて共産党の国外指導部書記。1938年モスクワへ移り、第二次世界大戦中はドイツ人捕虜への教育宣伝、ソ連軍占領地の軍政に携わり、1943年自由ドイツ国民委員会の創設に参加。1945年ベルリンへ帰還して市政を組織し、共産党再建を指導した。
 1946年、東ドイツ地域の社会民主党との合同になるドイツ社会主義統一党(SED。後、ドイツ連邦共和国の民主社会党となる)の最高指導部に入り、1950~1953年書記長、1953~1971年第一書記、1949~1960年旧東ドイツ副首相、1960~1971年国家評議会議長(元首)。1971年5月健康上の理由で要職を辞任した。ウルブリヒト体制は国内の政治統制と親ソ政策を基本に、若いテクノクラートを養成し、経済水準の向上に成果を収めた。1970年ソ連と西ドイツの急速な接近は東ドイツの頭越しに行われたらしく、彼の引退を決定づけたといわれる。[中川原徳仁]

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世界大百科事典内のウルブリヒトの言及

【ドイツ共産党】より

… ナチス政権成立後,33年2月国会放火事件が起きると,ナチスはこれを共産党の責に帰して弾圧を開始,テールマンをはじめ,有力活動家を逮捕,投獄し,3月には党そのものも非合法化した。党指導部はパリ,次いでモスクワに逃れ,35年ピークウルブリヒトらの指導の下に人民戦線戦術に転換したが,ドイツでは残存した党員グループが独自に反ナチス活動を遂行,大きな犠牲を払った。ソ連に逃れた者も少なからぬ数がスターリンの粛清の対象とされたが,自由ドイツ国民委員会などとともに反ファシズム活動に従事した。…

【ドイツ民主共和国】より

…これに対し東ドイツ政府とSEDは,東ドイツの承認,国家連合による再統一という方式をゆずろうとしなかった。もっとも,60年の東ドイツ初代大統領ピークの死後,国家評議会議長として元首の地位につき,党と政府の実権を一身に集めたウルブリヒトは,基本的にはソ連のヨーロッパ政策の枠組みを守ってはいたが,なおドイツ再統一の将来における実現を完全には放棄してはいなかったといわれる。 63年東ドイツ政府とSEDはソ連に対する賠償支払いの完了,ソ連におけるフルシチョフによる非スターリン化の推進などの新たな国内的・国際的条件のもとで,いわゆる物質的刺激をてことする新経済政策の実施に踏み切った。…

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