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ウードン Houdon, Jean Antoine

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウードン
Houdon, Jean Antoine

[生]1741.3.20. フランスベルサイユ
[没]1828.7.15. フランス,パリ
フランスの彫刻家。スロッツおよび J.ピガールに師事。 20歳でローマ大賞を獲得して4年間ローマに留学,1768年パリに帰るまで同地に滞在し古典彫刻を学んだ。 77年王立アカデミー会員となる。作品は古典的精緻と人物の内面性の把握を特色とし,ボルテール,モリエール,ナポレオンなどの数多くの肖像彫刻を制作。また 85年にはアメリカに渡り,G.ワシントン,B.フランクリンの肖像,1814年にはロシア皇帝アレクサンドル1世の胸像を制作。その他の主要作品は『ディアナ』 (1777,ルーブル美術館) ,コメディー・フランセーズの『ボルテール坐像』 (78) など。

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デジタル大辞泉の解説

ウードン(Jean-Antoine Houdon)

[1741~1828]フランスの彫刻家。端正な形式美性格描写とによる肖像彫刻の傑作を残した。

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百科事典マイペディアの解説

ウードン

フランスの彫刻家。ベルサイユ生れ。ピガールに師事し,一時ローマに滞在して古典を学ぶ。後期ロココと次代の新古典主義をつなぐ彫刻家で,ボルテール像のほか,ワシントンナポレオン1世など同時代著名人の肖像彫刻を多く残し,モデルの的確な性格描写で知られる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ウードン【Jean‐Antoine Houdon】

1741‐1828
18世紀フランスを代表する彫刻家。ベルサイユに生まれる。父親が王立アカデミー付属の学校の鍵番であったため,少年時代から美術に親しみ,9歳の時から彫刻を始めた。1761年ローマ賞を得て64‐68年の間,イタリアに学び,古典に熱中するとともに,解剖学的な形態研究にうちこむ。パリでは,すでに公的なポストが占められていたため,個人の注文によって制作せざるをえなかったが,それらの顧客のなかには,ザクセン・ゴータ公などがおり,ウードンは,この友人ディドロの推薦をえた顧客のために,著名な大理石の《ディアナ》を制作している。

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大辞林 第三版の解説

ウードン【Jean Antoine Houdon】

1741~1828) フランスの彫刻家。新古典主義時代に活躍した肖像彫刻の代表的作家。一九世紀レアリスムの先駆をなした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ウードン
うーどん
Jean-Antoine Houdon
(1741―1828)

18世紀フランスの彫刻家。ベルサイユに生まれる。ルモワーヌおよびピガルに学び、1761年にはローマ賞を獲得。64~68年イタリアに留学。古典の研究のかたわら解剖学的研究を行い、帰国後、ディドロの紹介によってゴータ公の庭園のために制作した『ディアナ』(リスボン、グルベンキァン美術館)などの神話的図像の作品で名声を得、またルイ16世時代の様式を確立する。他方、肖像彫刻においてもこの時期の指導的な彫刻家であり、ディドロ、ボルテール、J・J・ルソー、ベンジャミン・フランクリンなどの彫像を残している。解剖学的真実を求める彼は、ルソーのデスマスクを用い、またボルテールの場合には死の前夜までポーズさせている。同時に彼は、これらの個性を表情や姿勢や視線の動きのなかにとらえ、その点でも18世紀的な作風を確立した。[中山公男]

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