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エディルネ エディルネ Edirne

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

エディルネ
エディルネ
Edirne

トルコヨーロッパ部分にある都市。旧称アドリアノープルローマ時代はハドリアノポリスと呼ばれた。エディルネ県の県都。ギリシアブルガリアとの国境に近く,トゥンジャ川マリツァ川の合流点に位置し,小アジアバルカンとの交通の要衝を占める。

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デジタル大辞泉の解説

エディルネ(Edirne)

トルコ北西部の都市。ギリシャ・ブルガリアとの国境近く、メリチ川とその支流トゥンジャ川の合流点に位置する。古代ローマ時代、皇帝ハドリアヌスが建設してハドリアノポリスと命名し、のちにアドリアノープルとよばれた。14世紀にオスマン帝国ムラト1世に征服されて首都になり、コンスタンチノープル(現イスタンブール)陥落後は帝国第二の都市としてバルカン半島征服の拠点になった。旧市街には16世紀末に宮廷建築家ミマール=スィナンの設計で建造されたセリミエモスクをはじめ、ユチュシェレフェリモスクエスキモスクなどのイスラム寺院が残っている。

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百科事典マイペディアの解説

エディルネ

トルコのヨーロッパ側の同名県の主都。旧名アドリアノープル。トラキア平野の西端にあり商工業の中心地。歴史的建築物が多い。紀元前トラキア時代にさかのぼる歴史をもつが,125年ころローマ皇帝ハドリアヌスが再建,交通の要地として栄える。

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世界大百科事典 第2版の解説

エディルネ【Edirne】

トルコ共和国のヨーロッパ領北西端,ギリシア国境近くに位置し,同名県の県都。人口11万6000(1994),都市域人口23万3000(1994)。アジアとヨーロッパを結ぶ交通上の要路に位置し,現在はイスタンブール市場向けの農作物(小麦,野菜)の集荷地としての経済的機能を果たしている。この町の歴史は,古くトラキア時代にさかのぼるが,125年ころ,ローマ皇帝ハドリアヌスの再建によりハドリアノポリス(アドリアノープルAdrianople)として知られた。

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大辞林 第三版の解説

エディルネ【Edirne】

トルコ北西部の都市。 → アドリアノープル

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

エディルネ
えでぃるね
Edirne

トルコ西部、ヨーロッパ側の西端にあってギリシアとの国境に接する都市。エディルネ県の県都。人口11万9298(2000)。メリチ川とその支流トゥンジャ川の合流点に位置する。トルコの西の玄関口であり、鉄道・道路交通の要衝である。じゅうたん、皮革などの工業もみられる。オスマン・トルコ帝国の旧都であり、オスマン・トルコの建築家ミマル・シナンの設計によるセリミエ・モスクやウチュ・シェレフェリ・モスクなどの名建築が残されている。[末尾至行]

歴史

古代にトラキア人が建設し、ウスカダマUskadamaとよばれていた。125年ごろローマのハドリアヌス帝が再建し、ハドリアノポリスHadrianopolisと改名したことから、のちにアドリアノープルAdrianopleと称されるようになった。交通、戦略上の要衝にあり、ローマ帝政後期には州都として発展。378年、同市近郊で西ゴート人がローマのウァレンス帝を敗死させた「アドリアノープルの戦い」は、ゲルマン民族移動の開始を告げる事件であった。ビザンティン帝国におけるトラキア地方の要都として発展を続けたが、1361年、東方から進出したオスマン・トルコに征服され、エディルネと改称、1365年以後その首都となった。同王朝のコンスタンティノープル(イスタンブール)征服後はトルコ第二の都市として、バルカン支配の拠点となった。19世紀のロシア・トルコ戦争では二度(1829、1878)ロシアに占領され、1829年に同市で結ばれた和約(アドリアノープルの和)ではギリシアの独立が承認された。1913年ブルガリア領となるが、23年ローザンヌ条約によりトルコに返還された。[後藤篤子・永田雄三]

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世界大百科事典内のエディルネの言及

【ハドリアヌス】より

… 彼はギリシア文化,特にアテナイ市を愛し,図書館やオリュンピエイオンなどを贈った。ハドリアノポリスHadrianopolis(後のアドリアノープル,現トルコ領エディルネ)も彼の建設にかかる。またローマにも巨費を投じてパンテオン,自身の霊廟,大ウィラ(ティボリ近郊の離宮)などを造営した。…

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