改訂新版 世界大百科事典 「エドワード3世」の意味・わかりやすい解説
エドワード[3世]
Edward Ⅲ
生没年:1312-77
プランタジネット朝イングランドの王。在位1327-77年。父王エドワード2世廃位の翌年に即位したが,政治の実権は母后イザベラ(フランス王フィリップ4世の娘)とその寵臣モーティマーRoger de Mortimerにあった。1330年に王はモーティマーを処刑,また母后を監禁して統治の実権を獲得した。治世50年間にイギリスは内外に一時期を画する展開を示した。
当時フランスではカペー朝が断絶しバロア朝フィリップ6世が即位(1328)したが,王は母后の血統を根拠にフランスの王位継承権を主張し,1337年開戦した。以後1453年まで断続して行われる百年戦争の開始である。その背景には毛織物工業の盛んなフランドル諸都市と羊毛を供給するイギリスとの密接な関係,またフランドル諸都市のフランスからの独立運動とそれに対するイギリスの援助という結びつき,さらにブドウの主産地でイギリス王の支配下にあるアキテーヌに対するフランス王の侵攻という事情があった。開戦後イギリスは優勢に軍を進め,1347年カレーを占領,56年にはポアティエで大勝し,60年のブレティニーの講和ではアキテーヌ,カレーの支配権が王位継承権の放棄と引換えに確認された。しかしこれ以後イギリス軍は劣勢となり,また王も熱意を失い,晩年までにボルドーとカレーを残して征服地は失われていった。
元来羊毛輸出国の地位にあったイギリスは,王の政策によって大陸より技術者を招き毛織物工業の振興が行われるようになった。これによって毛織物生産は以後イギリスの中心的な産業として成長する基礎がおかれた。また,父王の晩年から,議会は課税承認の役割のみでなく,庶民の請願を聖俗大貴族の承認を経て王により法律として発布する,という立法機関としての機能ももつようになった。さらに王の初期時代には大貴族・高位聖職者からなる貴族院と,州と都市の代表からなる庶民院という二院制の形態が整ってきた。
執筆者:佐藤 伊久男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報