目次 自然 住民,社会 歴史 政治 経済 基本情報 正式名称 =エリトリア国State of Eritrea 面積 =11万7600km2 人口 (2010)=525万人 首都 =アスマラAsmara(日本との時差=-6時間) 主要言語 =ティグリニア語,アラビア語など 通貨 =ナクファNakfa
アフリカ大陸北東部に位置する国。西でスーダン,南でエチオピア,南東部でジブチに接し,紅海に面したその海岸線は約1000kmに達する。エリトリアという名称は,古代ギリシア語で〈赤〉すなわち紅海を意味したエリトゥライアに由来する。1960年代初期以来,約30年におよぶ武装解放闘争をへて,1993年にエチオピア から独立した。 執筆者:小田 英郎+編集部
自然 紅海に面するエリトリアの国土は,エチオピア高原 の北部から,東アフリカ大地溝帯の北部をなすアファル低地 にかけて広がる。エチオピア高原北部ではナイル川 の支流によって浸食が進み,平坦部は隣国エチオピアと比べ,かなり少ない。首都アスマラはその上にあって,標高およそ2400m。高原の上は,夏,北上してくる赤道西風によって雨を得て農業が行われ,人口が集中している。アファル低地はどの風によっても風下となり,砂漠である。アスマラは高原の北端にあり,ここから急崖を下ると港町マッサワに至る。わずかな平坦地に農耕が行われるにとどまる。 執筆者:鈴木 秀夫
住民,社会 住民はティグレ族Tigre,アファル族,ベジャ族,サホ族などの複数の民族から構成される。主要言語はティグリニア語,アラビア語であり,いずれも独立後の公用語となっている。宗教的には,北部高原地域のティグリニア語圏を中心にキリスト教徒 (エチオピア教会 ),北部高原,西部低地,東部沿岸地域に広くイスラム教徒が分布している。したがって,エリトリアのなかには,エチオピアのティグリニア語圏住民と近似した文化をもつ住民が少なからず存在しているということになるが,それ以外の部分では,文化的,社会的にエチオピアとの共通性が目だつわけではない。
歴史 エリトリアは1世紀ころのアクスム王国 にさかのぼる古い歴史をもつ。アクスム王国が衰退してからは,南方のエチオピアに権力の中心が移った。紅海沿岸の要衝に位置することから,沿岸部では16世紀以降,オスマン帝国などイスラム諸勢力の進出が続いたが,1880年代にイタリアが紅海沿岸に進出し,1890年にエリトリアを植民地としてその支配下に組み込んだ(〈イタリア・エチオピア戦争 〉参照)。その後,第2次世界大戦初期の1941年にイギリスの占領下に入り,翌42年から52年までその支配下におかれた。イギリス支配の時代に,政党や労働組合の活動が認められるなど,封建的な支配体制の下におかれたままの隣国エチオピアとはかなり異なった道をたどりはじめたといえる。52年,国連の決議によりエチオピアと連邦を形成したが,62年にエリトリア議会による決議のかたちで,エチオピアの1州として併合された。この流れを見越して1958年に結成されたエリトリア解放戦線(ELF)は,エリトリアの独立を目ざして61年から武装解放闘争を開始した。その後,解放闘争の主導権は,71年にELFから分離したエリトリア人民解放戦線(EPLF)の手に移った。さらに74年のエチオピア革命後,ティグレ人民解放戦線(TPLF)その他エチオピア国内の反政府解放組織の軍事的圧力がいっそう強まる一方で,EPLFの軍事攻勢も強化されていった。さらに東西冷戦終結後には,エチオピアに対するソ連,キューバの軍事的支援が失われたこともあって,政府側の軍事的抵抗力は急激に弱まり,91年からTPLFを中心とするエチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)の軍事攻勢が本格化して,同年5月には首都アジス・アベバは完全に包囲され,メンギストゥ政権は崩壊した。その後,EPRDFのメレス・ゼナウィ議長を暫定大統領とするエチオピア新政府が,2年後のエリトリア住民投票によるその将来の地位の決定を約束し,ここにエリトリア独立の道が開かれた。 →エチオピア
政治 1993年4月,エリトリア住民投票が国連監視下で実施され,99.8%が独立に賛成票を投じて,それを受けて5月24日にエリトリア国が誕生した。アフリカで53番目(西サハラを除く)の独立国であり,182番目の国連加盟国である。初代大統領にはEPLF書記長イサイアス・アフェウェルキIssaias Afewerkiが就任し,憲法制定および複数政党制選挙実施を主たる任務とする4年間の暫定政府を組織した。EPLFは94年2月に政党へと改組転換するとともに,民主正義人民戦線(PFDJ)と改称した。議会はすでに95年5月に6州制の採用を決めているが,その後,全58条からなる新憲法が,97年5月の制憲議会で満場一致で採択された。それによると,連邦制は採用せず,国民議会によって選出される大統領は,1回のみ再選が認められるが,議会の3分の2の多数により解任されることとなっている。
対外的には西側先進諸国との関係の緊密化を図り,それによって国家建設を効率的に進めようとする姿勢をみせているが,96年4月にジブチとの国境で軍事衝突を引き起こし,また1995年末からは紅海上のハニシュ諸島をめぐるイエメンと領土紛争が続くなど,一部周辺諸国との関係は緊迫気味である。独立直後の1993年6月にはアフリカ統一機構(OAU)に,95年4月には非同盟諸国会議に,それぞれ加盟した。
経済 独立直後のため,信頼しうる統計に乏しいが,長く続いた戦火のためもあって,1人当り所得75~150ドルという最貧国の一つである。1993年の推計では,経済の再建,インフラ整備に着手するには,30億ドルの資金が必要とされている。主要産業は農業であり,主要産品はテフ,メイズ,小麦,ソルガム,ミレットなどである。漁業も発展の可能性を秘めているが,政府の価格統制や,輸送インフラの貧困などの影響が大きく,市場の育成が進んでいない。天然資源の開発も重要な目標の一つであり,とくに紅海の石油,天然ガスの開発に目が向けられはじめている。金鉱の開発も有望とされているが,いずれも今後の課題である。 執筆者:小田 英郎