ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ティグレ」の意味・わかりやすい解説
ティグレ
Tigray; Tegray; Tigrai; Tigre
古代王国アクスムの中心部に位置し,古都アクスムや都市遺跡イエハのほか,侵入してきたイタリア軍を 1896年に撃破した戦地アドワ(→アドワの戦い)がある。
植生はまばらだが,住民のほとんどが穀物や豆類,コーヒー,綿花の栽培や牧畜に従事している。皮革は重要な輸出品で,砂漠からとれる塩や炭酸カリウムも輸出される。古くからティグレ族が住み,ラヤ族,アゼボ族,アファール族,アガウ族も居住する。
紅海沿岸のマッサワ(ミツィワ)とアッサブ(ともに現在はエリトリア領)は隊商(キャラバン)の拠点であったが,16世紀にオスマン帝国に沿岸部を奪われてからは,ティグレ出身のヨハネス4世の統治時代(1872~89)を除き,この地は南方のゴンダルやショアの首長たちに支配されてきた。また,エジプトやスーダン,イギリス,イタリアによる侵攻の脅威にも常にさらされた。エチオピア戦争後のイタリア占領時代(1935~41)にはアジスアベバから派遣された官吏が統治した。
1975年,反政府勢力のティグレ人民解放戦線 TPLFが当時のエチオピアの軍事政権に反発し武装闘争を展開,1984年から 1985年にかけては干魃と飢饉が発生し,そのため政府は何十万もの農民をより水利のよい西部や南部に強制的に移住させようとした。国際的な非難を受けて計画は中止となったが,それまでに約 10万人が死亡し,数十万人が内戦や飢饉を避けて隣国スーダンやジブチに逃れた。TPLFはオロモ族(ガラ族),アムハラ族などの民主派組織と共闘(→エチオピア人民革命民主戦線)して,メンギスツ・ハイレ・マリアム率いる軍事政権を打倒,その後エチオピアの支配権がアムハラ族からティグレ族に移り,1990年代における継続的な紛争の要因になった。また,1993年にエチオピアから独立したエリトリアとの国境をめぐる対立も原因となり,両国はティグレの領有を主張し,この争いは 21世紀に入っても続いた。
ティグレ
Tigre
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