ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メネリク2世」の意味・わかりやすい解説
メネリク2世
メネリクにせい
Menelik II; Menelek II
[没]1913.12.12. アジスアベバ
エチオピア皇帝(在位 1889~1913),ショア(シェワ)の王(在位 1865~89)。即位前の名はサーレ・ミリアム Sahle Miriam(Sahl é Miriam)。エチオピアの偉大な統治者の一人で,現在の国境線付近まで版図を広げ,1896年には侵攻してきたイタリア軍を撃退し,国の近代化を推進した。
11歳で父王ハイレ・マラコット Haile Malakotを失い,半独立状態だったショアに侵入したテオドロス2世(在位 1855~68)に監禁されていたが,1865年に脱出し,みずからショアの王と宣言した。テオドロス2世死後の帝位争いでは,ティグレの首長カッサ Kassaに対抗できず,結局カッサが王位を継いでヨハネス4世(在位 1872~89)となった。サーレ・ミリアムはその間勢力を蓄え,ヨハネス4世の死後,王位につき,ソロモン王とシバの女王(エチオピア名マケダ Makeda)との間に生まれたといわれる伝説の王メネリク1世にちなんでメネリク2世を名のった。
1895年11月エチオピアを属国化しようとしたイタリアとの間に戦争(→エチオピア戦争)が始まったが,メネリク2世は 1896年3月のアドワの戦いでイタリア軍を破り,同年10月のアジスアベバ条約でエチオピアの独立を確保した。1894~1908年ヨーロッパ列強間の角逐を巧みに利用して,イギリス,フランスとの間にも条約を結び,エチオピアと隣接地域との国境を画定し,近代国家としてのエチオピアの基礎を築いた。(→エチオピア史)
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