アクスム(読み)あくすむ(英語表記)Axum

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アクスム」の意味・わかりやすい解説

アクスム
Aksum; Axum

エチオピア北部ティグレ地方にある古代都市。アドワ Adowaの西方約 20km,標高 2100mの高地にある。古代王国アクスムの首都で,現在は遺跡で知られる観光都市である。古くからエチオピア正教の聖地とされ,14世紀の叙事詩『ケブラ・ネガスト』(「王の栄光」の意)には,ソロモンシバの女王の息子と伝わるメネリク1世が,契約の櫃エルサレムからアクスムに移したという伝説が記されている。市内にあるシオンの聖マリア教会にその櫃が保管されていると伝えられているが,教会自体が何世紀にもわたって破壊と再建を繰り返し,現在の建物は 17世紀建造である。なお,1950年代に当時の皇帝ハイレ・セラシエによって,近隣に新しいシオンの聖マリア教会が建てられた。ステレと呼ばれる石のオベリスクが,倒壊したものも含め 120基以上も残存し,最も高いもので約 34m(倒壊)にも及ぶ。1937年にイタリア軍によって持ち去られたが,遅くとも西暦 300年頃につくられたとみられる高さ約 24mのオベリスクは 2005年に返還され,コプト暦の 2000年にあたる 2008年に再設置された。このほか草木の生い茂った遺跡からは,少なくとも 27基の石彫玉座が出土している。一連の考古遺跡は 1980年に世界遺産文化遺産に登録された。市内には空港病院コミュニティセンターなどがある。人口 4万7300(2006推計)。

アクスム[王国]
アクスム[おうこく]
Aksum; Axum

初期キリスト教時代にエチオピア北部にあった強大な王国。南アラビアに栄えたサバ王国シバ王国)のセム系民族が移住して建国したとする説が一般的だったが,現地の土着勢力を起源とするものとみられる。3~6世紀の最盛期にはアフリカ北東部最大の商都となり,商人たちはナイル川を越え,また遠くエジプトアレクサンドリア交易を行なった。9世紀末までに紅海沿岸を支配し,アデン湾からソマリランド(現在のジブチソマリア)北岸のゼイラにまで影響力を及ぼした。
2世紀から 3世紀にかけて交易大国として成長したアクスムは,ヌビアメロエ王国(→メロエ遺跡)を圧倒し,4世紀にこれを滅ぼした。またこの頃,アクスムの王はキリスト教を受け入れ,ビザンチン帝国支配下のエジプトと政治的にも宗教的にも結びつくようになり,南アラビアに勢力を拡張した。6世紀,アクスムはイエメンを服属させたものの,同世紀後半にはペルシア人が南アラビアに侵攻したため駆逐され,さらに 7~8世紀にはアラブ人の侵入により地中海貿易からも退いた。しだいにアクスムの支配権は王国内部のアガウ族 Agau(Agawまたは Agew)に移り,その子孫が 12~13世紀にザグウェ朝 Zagwe dynastyを築き,キリスト教の信仰を受け継いだ。(→エチオピア史

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アクスム」の意味・わかりやすい解説

アクスム
あくすむ
Axum
Aksum

エチオピア北部にある古都。標高2100メートルのエチオピア高原上に位置する。人口1万7753(1984)。4世紀のエザナ王の時代に最盛期を迎えたアクスム王国の首都であった。同王国はビザンティン帝国の後押しで南アラビアやペルシアに侵入し、首都アクスムはアフリカ内陸から運ばれてくる象牙(ぞうげ)の集散地として栄えた。30メートルに及ぶオベリスク、防塞(ぼうさい)を備えた宮殿、石の王座、溜池(ためいけ)、ダムなどが建設され、貨幣の製造や田畑の灌漑(かんがい)まで行われた。しかし7世紀のイスラム勃興(ぼっこう)とともに急激に衰亡した。コプト教会の大聖堂があり、聖地となっている。1980年、世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)に登録された。

[諏訪兼位]

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