アスマラ(読み)あすまら(英語表記)Asmara

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アスマラ」の意味・わかりやすい解説

アスマラ
Asmara

エリトリア首都。別綴 Asmera。エチオピア高原北端,標高 2325mの地点にあり,紅海に面する港湾都市マッサワ南西約 65kmに位置する。ティグレ族の居住する村落にすぎなかったが,1900年にイタリア領エリトリアの首都となり,1935年にはイタリアのエチオピア侵攻(→エチオピア戦争)の拠点となった。1941年連合国軍が奪還し,1952年のエチオピア・エリトリア連邦独立までイギリスの支配下にあった。また 1942~77年にはアメリカ軍のカニュー通信基地が置かれた。1993年エチオピアからの分離独立に伴いエリトリアの首都となった。織物,はきもの,清涼飲料の製造などが行なわれる。イタリア支配のもとで計画,整備されたヨーロッパ風の町で,カトリック大聖堂(1922)や大モスク(1937),コプト教会の聖堂のほか,当時の映画館やガソリンスタンドなど数々のモダニズム建築が残され,2017年国際連合教育科学文化機関 UNESCO世界遺産の文化遺産に登録された。近郊に国際空港があり,エリトリア鉄道と幹線道路によってマッサワと結ばれている。人口 77万5000(2014推計)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アスマラ」の意味・わかりやすい解説

アスマラ
あすまら
Asmara

アフリカ北東部、エリトリアの首都。人口51万4000(1999推計)、51万2438(2019推計)。エチオピア高原の北端、標高2320メートルに位置し、道路、鉄道で紅海のマッサワ港と結ばれ、国際空港もある。イタリア植民地時代につくられたヨーロッパ風の美しい町で、キリスト教コプト派の壮大な教会がある。住民の半分はコプト派、半分はイスラム教徒である。繊維工業醸造業、肉缶詰業、食品加工などが営まれている。

[諏訪兼位]

 2017年、「アスマラ:アフリカの近代主義都市」としてユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)に登録された。

[編集部 2018年5月21日]

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