エルドアン(読み)えるどあん(その他表記)Recep Tayyip Erdoan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「エルドアン」の意味・わかりやすい解説

エルドアン
えるどあん
Recep Tayyip Erdoan
(1954― )

トルコの政治家。イスタンブール生まれ。宗教指導者養成校(イスタンブール・イマーム・ハティブ校)を卒業後、マルマラ大学経済商学部卒。商社勤務などを経て、1975年にイスラム色の強い国家救済党の青年局長につき、政治活動を始めた。1994年にイスタンブール市長、2001年にイスラム教を重視する公正発展党(AKP:Adalet ve Kalknma Partisi)を自ら創設して初代党首となり、2003年から国会議員、同年から首相を3期務めた。AKPは国会議員の4選を禁じていたため、2014年に初の国民投票による大統領選挙出馬、第12代大統領に就任した。2016年の軍によるクーデターを制圧すると、2017年には国民投票で憲法改正し、建国(1923)以来の議会制民主主義を廃し、儀礼的存在だった大統領に権限を集中する実権型大統領制への移行を断行。2018年と2023年の大統領選でも勝利し、独裁体制を確立した。

 イスタンブール市長時代(1997)に国是政教分離世俗主義)に反した演説で服役した経験をもつなど、イスラム教を重視する施策を進め、イスラム保守派、低所得者層、地方在住者からの支持が厚い。外交では、欧米志向の強かった同国を全方位外交に転換し、シリア紛争でシリア難民の半数(約340万人)をイスラム教徒の同胞として受け入れ、ロシアによるウクライナ侵攻では欧米とロシアとの仲介役を務め、スウェーデンの北大西洋条約機構(NATO(ナトー))加盟に対して、クルド人武装組織への支援をやめるよう条件をつけるなど、国際社会で存在感を示している。一方で、和解を模索してきた少数民族クルド勢力に対し、その姿勢を転換して軍事作戦を展開したほか、政教分離を唱える反政府勢力や報道機関を弾圧して、「スルタン(イスラム帝国の皇帝)」「絶対的指導者」「独裁者」などの異名をとる。内政面では、空港、モスク、運河など大規模インフラ整備に積極的で、トルコの1人当り名目国内総生産(GDP)を10年で3倍に増やす経済成長を実現した。一方で、高インフレ、通貨リラ安、資金の海外流出などを招き、都市部で反支持派が盛り返し、2023年の大統領選は決戦投票に持ち込まれる僅差(きんさ)の勝利(エルドアンの得票率52.18%)であった。大統領任期(2期10年)は2028年まであるが、憲法を改正したことで任期中に国会が解散されれば3期目を目ざすことも認められており、首相時代をあわせて30年に及ぶ長期政権を握るとの見方もある。

[矢野 武 2024年1月18日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エルドアン」の意味・わかりやすい解説

エルドアン
Erdoǧan, Recep Tayyip

[生]1954.2.26. リゼ
トルコの政治家。首相(在任 2003~14),大統領(在任 2014~ )。プロのサッカー選手だったが,マルマラ大学在籍中にネジメティン・エルバカンに出会い,エルバカン率いる福祉党で活動を始めた。1994年イスタンブール市長選挙で福祉党の指名候補となり当選。1998年詩の朗読による宗教扇動で有罪となり 10ヵ月の禁固刑を宣告され,市長を辞任した。1999年釈放されて政界に復帰し,公正発展党を結成。公正発展党は 2002年の選挙に勝利した。エルドアンは被選挙権を剥奪されていたが,2002年12月憲法が改正され被選挙権を回復。2003年3月9日の補欠選挙で当選すると,数日後にアフメット・ネジデット・セゼル大統領から組閣を要請され,5月14日に首相に就任。首相としてアメリカ合衆国とヨーロッパ諸国を歴訪,トルコのヨーロッパ連合 EU加盟推進をはかり,イラク戦争の際にもうまく立ち回った。2004年にはキプロス問題(→キプロス紛争)の解決に取り組み,国際連合の南北キプロス再統合計画を支持した。2007年の選挙で圧倒的な勝利を収めた公正発展党は,イスラム主義派系のアブドラ・ギュルを大統領に選出。2008年,大学構内で宗教を象徴する女子学生のスカーフ着用を認める憲法改正案が国会で成立すると,反対派は反世俗主義であるとして,憲法裁判所に改正の無効と公正発展党の解党を求めた。改正は無効となったが,公正発展党の解党は退けられ,エルドアン政権は維持された。

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百科事典マイペディア 「エルドアン」の意味・わかりやすい解説

エルドアン

トルコの政治家。第12代トルコ共和国大統領。イスタンブール市出身。マルマラ大学経済商業学部に学ぶ。在学中から政治活動に参加。1983年福祉党に入党。1994年イスタンブール市長。1997年イスラム原理主義を扇動したと告発され,実刑判決を受け被選挙権を剥奪され服役,1999年に釈放される。2001年公正発展党結成に参加,被選挙権がないまま党首に選任される。2003年被選挙権回復。同年首相就任(2014年まで3期在任)。姦通罪の復活や女性のスカーフ着用を認める法案などイスラム原理主義的政策を打ち出し,世俗主義の強い都市の知識階層,リベラル派,軍部などから反発を受ける。2007年の大統領選に出馬する意向を表明したが,リベラル派から反対運動が起こりデモが頻発,結局出馬を断念した。2014年8月の大統領選では,第1回投票で過半数を獲得し大統領に就任した。就任後は全方位外交の姿勢を打ち出し,EUはもとよりアメリカ,イラン,ロシア,ブラジルなどとの関係強化にも取り組んでいる。イランの核開発問題では平和的核利用を支持すると表明。ただし,国境を接するシリア,イラクで勢力を拡大したISの資金源である石油の密売がトルコ経由で行われていることに対する国際的な懸念や,内政面でもエルドアンのイスラム原理主義への回帰を警戒するリベラル派の疑念は完全には払拭されていない状況である。

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