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オーデル=ナイセ線 オーデル=ナイセせんOder-Neisse Line

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オーデル=ナイセ線
オーデル=ナイセせん
Oder-Neisse Line

オーデル川とナイセ川を境とするポーランドとドイツ国境線。 1943年のテヘラン会議カーゾン線をポーランドの東部国境線とすることについて,非公式の合意ができたあと,45年8月のポツダム協定は,対ドイツ講和条約成立までの暫定的措置として,オーデル=ナイセ線をポーランドの西部国境線とすることを表明した。次いで 50年6月にポーランドと東ドイツはゲルリッツ条約を結び,東ドイツはオーデル=ナイセ線による国境画定を承認した。このため,ポーランドはその 18万 km2にわたる東部領土をソ連に譲り (ソ連との国境条約は 1945年8月に結ばれた) ,その代りに 10万 3000km2の旧ドイツ領を得たわけで,ポーランドの領土は全体的に西に移動した。これについて,西ドイツ政府は不満をもち,非承認の立場を取り続けてきた。しかし,69年の W.ブラント政権発足後,西ドイツ政府はオーデル=ナイセ線承認の方向に傾き,70年の西ドイツ=ポーランド交渉の結果,両国関係正常化に関する条約が同年 12月7日に結ばれ,この時点で国家としての東ドイツの存在を承認し,オーデル=ナイセ線の事実上の承認を基礎に,ポーランドとの和解を実現させた。 89年 11月「ベルリンの壁」崩壊後,ドイツ国民の間からオーデル=ナイセ国境線の見直し要求が強まったため,ポーランドの警戒心をやわらげ,ドイツ統一を円滑に進める目的から東西ドイツの議会が 90年6月 21日にオーデル=ナイセ線を国境として最終的に承認した。これを受けて同年 11月 14日にドイツ・ポーランド両国外相が独ポ国境画定条約に調印したことで最終的な決着をみた。

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