4世紀初めころ,若くして殉教したとされるアレクサンドリア(エジプト)の聖女。その名は古代の文献にはなく(別名で語られたと考えられる),中世に伝説ができてから庶民に愛好された。その伝説によれば,貴族出身の学識豊かな娘で,皇帝の命令により集められた50人の学者を論破し,彼らおよび皇妃をもキリスト教に改宗させた。そのため車輪につながれたが,車輪が奇跡によって大破し,斬首されて殉教。屍は天使がシナイ山に運んだ。今日シナイ山のカタリナ修道院には彼女の墓といわれるものがある。伝説にちなんで,少女,哲学者,パリ大学(中世には哲学で知られた)など多くの大学また図書館,殉教具から車大工,粉屋などの守護聖人。美術作品では,多くは冠をつけた王女の姿をとり,持物は殉教に関連する壊れた車輪,剣,学識を示す本,近世の〈カタリナの結婚〉伝説に語られる,キリストより贈られた指輪など。拷問に使われた周囲に突起の付いた車輪は〈カタリナの車輪Catherine wheel〉と呼ばれ,ケンブリッジ大学などの紋章になっている。祝日は11月25日。
執筆者:井手 木実
イタリアの聖女。シエナの糸染職人の家に生まれ,1362年ドミニコ会に入会,ペストや癩(らい)患者の世話を献身的に行う一方,教皇がアビニョンの捕囚からローマに帰還するにあたって尽力。神秘主義者としての幻視体験は,アレクサンドリアのカタリナと同じくキリストから指輪を受けて婚約する場面,キリストの差し出した金といばらの冠のうち後者を選びとる場面,アッシジのフランチェスコと同じく聖痕を受ける場面などとして,美術作品に表される。ドミニコ会の黒と白の修道服姿で表現され,持物は書物,燃える心臓,いばらの冠,ユリ,聖痕など。シエナの守護聖人として,アンサヌス,ベルナルディヌスと共に表され,また他のドミニコ会聖人,殉教者ペトルス,ドミニクス自身らと並ぶこともある。祝日は4月29日。
執筆者:荒木 成子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
4世紀ごろの殉教者、カトリックの聖女。生涯については伝説的資料しかない。貴族の出身で、優れた教育を受け、18歳のとき皇帝の前で異教徒の哲学者と議論し、彼らを改宗させた。のち皇后にキリスト教徒になるよう勧めたかどで、車裂きの刑を受けることになったが、祈りによって車輪が砕かれてしまったため、ついに首を切られて殉教したと伝えられている。彼女への崇敬は早くから東方正教会に生まれたが、ローマ教会でも10世紀以後盛んになった。絵画の題材になっているが、書物(知識を表す)、王冠(貴族の出を表す)、車輪(殉教を表す)とともに描かれているものが多い。
[大谷啓治 2017年11月17日]
1485~1536
スペインのアラゴン王フェルナンド2世の娘。イングランド王ヘンリ7世の子アーサーと結婚。その死後亡父の弟ヘンリ8世と再婚。アン・ブーリンとの結婚を欲したヘンリ8世が彼女を離婚しようとしたことが,イギリス宗教改革の発端になった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…527年にビザンティン皇帝ユスティニアヌス1世によって建立された。名称は,4世紀初頭にアレクサンドリアで殉教したという聖女カタリナに由来する。後代の伝説によればカタリナの遺体は天使によってシナイ山に運ばれたという。…
…竜か悪魔をふみつけていることが多い。バルバラ,アレクサンドリアのカタリナと3人で描かれることもある。祝日は7月20日(東方では7月17日)。…
…教会法の分野でもペンニャフォルトのライムンドゥスRaimundus de Peñafortなど偉才が出て異端審問制度の権威となった。神秘思想ではエックハルトらが現れ,その一人であるシエナの聖女カタリナは一般信徒の信仰生活を鼓舞する〈第三会〉会員であった。この修道会は〈正統教理の不休の守護者〉と評価される。…
※「カタリナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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