カトリック教徒解放法(読み)カトリックきょうとかいほうほう(英語表記)Catholic Emancipation Act

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カトリック教徒解放令ともいう。 1829年ウェリントン (公)内閣が成立させたイギリスの法律。アイルランドを含むイギリスのカトリック教徒に対する社会的・政治的差別大半撤廃することを定めた。 18世紀のに,イングランドにはカトリック教徒はおよそ6万人しかいなかったが,アイルランドの住民の大半はカトリック教徒であったため,彼らに対するさまざまな差別の撤廃は,アイルランド合同 (1800) 以後,一層緊急な課題となった。 D.オコンネルらの努力の成果であるこの解放令によって,イギリスのカトリック教徒は下院議員の被選挙権,ほとんどすべての公職への就任を認められ,彼らの私有財産所有権に対する制限もすべて廃止された。ただしアイルランドでは,この法律と同時に選挙権の財産資格の引上げが実施され,多くのカトリック自作農が選挙権を失った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カトリック教徒をさまざまな制約から解放した、1829年のイギリスの法律。国教会制度をとったイギリスでは非国教徒がさまざまな形で抑圧されたが、とくにアイルランドのカトリックは厳しい支配を受けた。17世紀末~18世紀の一連のカトリック刑罰法は、職からカトリック教徒を締め出し、土地購入や借地契約にまで制限を加えた。しかし18世紀後半の自由と平等を求めるアイルランド人の運動と、アメリカ独立とフランス革命の成功は、イギリスの譲歩を引き出し、1793年の救済法Catholic Relief Actで刑罰法のほとんどが撤廃されたが、その救済法も国会議員、大臣、裁判官、将官など国の重要な地位につくことをまだ許さなかった。このため完全な解放を求めるカトリックの運動が続いたが、この運動を大衆的に発展させたのがオコネルカトリック協会であった。月1ペニーという安い会費で極貧層まで組織したこの運動は、1826年の総選挙で成功し、28年補欠選挙ではカトリックで被選挙権のないオコネルを当選させた。ここにおいてイギリス政府もついに決意し、同年、非国教徒を公職から排除した1673年の審査法を廃止し、翌1829年カトリック教徒解放法を成立させた。王、摂政、大法官と並んでアイルランド総督が除外されたが、ほとんどの公職がカトリック教徒にも認められることとなり、カトリック問題は基本的に解決した。しかしまだ十分の一税問題が残り、また選挙資格の引上げのため多くのカトリック農民が選挙権を失い、民族問題としてのアイルランド問題が解決したわけではなかった。[堀越 智]
『堀越智著『アイルランド民族運動の歴史』(1979・三省堂) ▽T・W・ムーディ、F・X・マーチン編著、堀越智監訳『アイルランドの風土と歴史』(1982・論創社)』

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

1829年,カトリック教徒に国教徒と同一の権利を認めたイギリスの法律
1673年の審査法は非国教徒が国会議員や官吏になるのを禁止した。名誉革命によってプロテスタントの公職就任は認められたが,カトリック教徒は依然公職から締め出されていた。そのため,18世紀末からカトリック教徒の多いアイルランドでオコンネルらによって反対運動が展開され,ウェリントン内閣のとき成立した。19世紀イギリスの自由主義的政治改革の1つ。この後,アイルランド人は政治上の差別は一応なくなったため,独立と土地を求める運動へと力をいれていくことになった。

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