デジタル大辞泉
「オコンネル」の意味・読み・例文・類語
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オコンネル
- ( Daniel O'Connell ダニエル━ ) アイルランド解放運動の指導者。英国下院議員としてカトリック解放令を成立させるなど、議会を通じてアイルランド独立の達成に努めた。(一七七五‐一八四七)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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オコンネル
O'Connell, Daniel
[生]1775.8.6. ケリー
[没]1847.5.15. ジェノバ
アイルランドの政治家。弁護士出身。ユナイテッド・アイリッシュメンの動きには同調せず,1800年のアイルランド合同にも批判的であった。以後カトリック教徒解放を要求。 23年カトリック協会を組織して民衆を指導。 28年クレア州から下院議員に選出されたが,カトリック教徒であったために議席を拒否された。彼に対する擁護運動が高まり,政府は翌年カトリック教徒解放法を認めた。その後下院議員としてアイルランドの国教会制度と 10分の1税の廃止を主張。 1830年代はホイッグ党政府が諸改革を推し進めるという公約の履行に期待したが,40年以降アイルランド合同撤回運動に専念。集会を各地で開いたが,強硬な鎮圧にあって失敗した。彼の非暴力主義にあきたらぬ青年アイルランド党の離反,45~46年の大飢饉といった状況下で支持者を失い,ローマに向う途中で客死。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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オコンネル
Daniel O'Connell
1775~1847
アイルランドの独立運動指導者。イングランドとアイルランドの合同撤回論者として名をあげ,1828年下院議員に選ばれたが,カトリック教徒であったため当選を拒否された。翌年カトリック教徒解放法の制定とともに下院に入り,「解放者」としてアイルランド民衆の間に人気を高めた。大衆集会を開くことによって,合同撤廃運動を進めたが,45年以降の大飢饉で支持者を失い,失意のうちにジェノヴァで死去。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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Daniel O'Connell
1775〜1847
アイルランドの政治家
民族運動を指導して1829年カトリック教徒解放法を成立させ,アイルランドの大多数を占めるカトリック教徒の選挙権などの制限を除いた。その後,独立運動と初期チャーティスト運動に活躍したが,晩年は急進的な青年アイルランド党と対立して,故国を去った。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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