イタリアの新古典主義の彫刻家。ベネト地方のポッサーニョに生まれる。1768年、パニャーノの彫刻家ジュゼッペ・ベルナルディ(通称トルレッティ)に入門し、同年ないし翌年、師とともにベネチアに赴く。73年の師の没後も数年間ベネチアにとどまって活動し、この時期の作品に『ダイダロスとイカロス』(1778・ベネチア・コルレール美術館)がある。79年ローマ、ナポリ、ポンペイ、パエストゥムなどを訪れ、80年ベネチアに帰るが、翌年ふたたびローマに旅立ち、以後生涯を通じてローマを中心的活動の場とした。
彼の様式形成に関与して力のあったものの一つに、凡庸な画家ながら優れた知識人であったスコットランド人、ガビン・ハミルトンによる古代美術への手引きがあったと思われる。教皇クレメンス14世墓碑彫刻(1783~87・サンティ・アポストリ聖堂)は彼の名声を不動のものとし、そのほか『アモールとプシュケ』(1787~93・ルーブル美術館)など古代的主題の作品をはじめ、『マリア・クリスティーナの墓碑』(1798~1805・ウィーン、聖アウグスティヌス修道会聖堂)、そのほか数多くの貴顕の肖像を制作した。さらにナポレオンの巨大な裸像(1810・ロンドン、アプスレイ・ハウス)、およびその妹パオリーナの半裸像(1805・ボルゲーゼ美術館)など、ナポレオンとその家族の肖像彫刻などもつくっている。
彼の作品は、抑制された、ほとんど無感動な表情、単純化された清楚(せいそ)な面処理、平面的な結構などを特色としている。ポッサーニョには、彼の生家に隣接して石膏(せっこう)塑形陳列館があり、多数の習作塑像が保存されている。今日のカノーバに対する評価は、生前この芸術家が受けた美術史上まれにみるほどの高い評価には及ばない。
[西山重徳]
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…また,ローマでは建築家G.B.ピラネージが古代ローマの遺跡の版画集を出版し,新古典主義に大きな刺激を与えた。しかし,大勢は無気力なアカデミズムにおおわれ,彫刻家A.カノーバのみが,わずかにヘレニズム的なアカデミズムを見せ,古代ローマのなごりを伝えている。新古典主義のメッカとしてイタリアはヨーロッパの芸術家の巡礼の地となっていたが,活気ある芸術活動は起こらなかった。…
※「カノーバ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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