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カノーバ カノーバ Canova, Antonio

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カノーバ
カノーバ
Canova, Antonio

[生]1757.11.1. ベネチア,ポッサーニョ
[没]1822.10.13. ベネチア
イタリアの彫刻家。ベネチアで修業。 1779年,『ダエダルスとイカルス』 (ベネチア,コレル美術館) を制作したのちローマに行き,『テセウスとミノタウルス』 (1782,ロンドンロンドンデリーコレクション) ,『教皇クレメンス 13世の記念碑』 (87~92,サン・ピエトロ大聖堂) などを制作。

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デジタル大辞泉の解説

カノーバ(Antonio Canova)

[1757~1822]イタリアの彫刻家。古代彫刻を研究・模倣し、新古典主義の代表者となる。作「ナポレオン裸像」「パオリーナ‐ボルゲーゼ像」など。

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百科事典マイペディアの解説

カノーバ

イタリアの新古典主義を代表する彫刻家。トレビーゾ近郊のポッサーニョ生れ。ウィンケルマンらの理論に触れ,大理石を用いて肖像彫刻や古代神話の神々の彫像などを多く作ったが,特にローマの《教皇クレメンス14世の墓廟》(1787年,ローマ,サンティ・アポストリ聖堂)と《教皇クレメンス13世墓廟》(1792年,バチカン,サン・ピエトロ大聖堂)はバロックから新古典主義への転換を画するものとして重要。
→関連項目トルバルセンボルゲーゼ美術館

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世界大百科事典 第2版の解説

カノーバ【Antonio Canova】

1757‐1822
イタリアの新古典主義の彫刻家。ベネチア近くのポッサーニョに生まれる。1781年以後ローマで,ウィンケルマンメングスの新古典主義理論に触れ,モニュメンタルな作品を作る。1802年パリに呼ばれ,ナポレオンの像を残す。みがきあげた大理石の面を強調し,肉付けの厳密さよりも,線の流麗さを好む。ウードンに比べてもいささか作為性に富み,情緒性のあるポーズで古典的な主題を彫り出すこともある。その意味では来るべきロマン主義の特徴を予告している。

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大辞林 第三版の解説

カノーバ【Antonio Canova】

1757~1822) イタリアの彫刻家。古代彫刻に範を求めた形式的な新古典主義の代表者。ナポレオンに心酔しその彫像を制作した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カノーバ
かのーば
Antonio Canova
(1757―1822)

イタリアの新古典主義の彫刻家。ベネト地方のポッサーニョに生まれる。1768年、パニャーノの彫刻家ジュゼッペ・ベルナルディ(通称トルレッティ)に入門し、同年ないし翌年、師とともにベネチアに赴く。73年の師の没後も数年間ベネチアにとどまって活動し、この時期の作品に『ダイダロスとイカロス』(1778・ベネチア・コルレール美術館)がある。79年ローマ、ナポリポンペイパエストゥムなどを訪れ、80年ベネチアに帰るが、翌年ふたたびローマに旅立ち、以後生涯を通じてローマを中心的活動の場とした。
 彼の様式形成に関与して力のあったものの一つに、凡庸な画家ながら優れた知識人であったスコットランド人、ガビン・ハミルトンによる古代美術への手引きがあったと思われる。教皇クレメンス14世墓碑彫刻(1783~87・サンティ・アポストリ聖堂)は彼の名声を不動のものとし、そのほか『アモールとプシュケ』(1787~93・ルーブル美術館)など古代的主題の作品をはじめ、『マリア・クリスティーナの墓碑』(1798~1805・ウィーン、聖アウグスティヌス修道会聖堂)、そのほか数多くの貴顕の肖像を制作した。さらにナポレオンの巨大な裸像(1810・ロンドン、アプスレイ・ハウス)、およびその妹パオリーナの半裸像(1805・ボルゲーゼ美術館)など、ナポレオンとその家族の肖像彫刻などもつくっている。
 彼の作品は、抑制された、ほとんど無感動な表情、単純化された清楚(せいそ)な面処理、平面的な結構などを特色としている。ポッサーニョには、彼の生家に隣接して石膏(せっこう)塑形陳列館があり、多数の習作塑像が保存されている。今日のカノーバに対する評価は、生前この芸術家が受けた美術史上まれにみるほどの高い評価には及ばない。[西山重徳]

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世界大百科事典内のカノーバの言及

【イタリア美術】より

…また,ローマでは建築家G.B.ピラネージが古代ローマの遺跡の版画集を出版し,新古典主義に大きな刺激を与えた。しかし,大勢は無気力なアカデミズムにおおわれ,彫刻家A.カノーバのみが,わずかにヘレニズム的なアカデミズムを見せ,古代ローマのなごりを伝えている。新古典主義のメッカとしてイタリアはヨーロッパの芸術家の巡礼の地となっていたが,活気ある芸術活動は起こらなかった。…

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