中国内モンゴル自治区エチナ(額斉納)旗にある西夏の都城。モンゴル語で〈黒い都城〉の意。黒水城ともいわれる。1908年,ロシアのコズロフ探検隊によって最初に調査された。1辺400m前後の四辺形で,城壁は高さ9m。北西隅にチベット式の仏塔(スプルガン)がある。東と西に門があり,城内西半は瓦をふいた寺院,官衙が多いが,東半の建物には瓦がなく,木をわたして粘土をふいている。城の北東には鉄の製錬所がある。東門より東西方向にのびる商業通りからは,絹織物,毛織物,帽子,靴などが発見され,西夏,金,元の貨幣や元の紙幣である宝鈔も見つかっている。また宋・元代の中国陶磁も多く,元の染付陶器青花も発見されている。出土文書は西夏語のものが多く,その後の西夏文の解読につながった。都城は元代もそのまま使用され,明初めに廃棄されたものと思われる。
執筆者:岡崎 敬
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西夏の古都遺跡。中国の内蒙古自治区西部,エチナ川の下流デルタにある。20世紀初めにロシアやイギリスなどの調査団が西夏文字などの文書を大量に発見し,西夏,モンゴル研究に貢献した。元代まで都城として使われた。
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「ハラ・ホト遺跡」のページをご覧ください。
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…1899‐1901年みずからモンゴル・チベット探検隊を主宰し,その成果を《モンゴリアとカム》8巻(1905‐08)として刊行。1907‐09年モンゴル・四川探検隊を主宰し,ゴビ砂漠中に西夏時代の廃都カラ・ホトを発見,2000巻に及ぶ西夏語,漢文書籍を収集した。その探検の成果は彼の著《モンゴリアとアムドおよび死の都カラ・ホト》(1923)として発表された。…
…とくに431窟南壁の九品往生図は観経変中のその部分を独立して描いたもので,九品来迎図の早期(7世紀)の遺品として注目される。浄土信仰の盛んであった7,8世紀の中原の来迎図については遺品がまったくなく,不明というほかはないが,西域では引き続き浄土信仰が盛んであったとみえ,カラ・ホトの地から11~12世紀ごろの来迎図が発見されており,この方面における浄土信仰の状況をうかがうことができる。しかし大陸における阿弥陀浄土信仰は造形芸術の面では阿弥陀浄土変が主流をなし,来迎図に関しては必ずしも顕著な展開を見なかったものであり,来迎図の隆盛は日本固有のものといっても過言でない。…
※「カラホト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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