カリブ海政策(読み)カリブかいせいさく

改訂新版 世界大百科事典 「カリブ海政策」の意味・わかりやすい解説

カリブ海政策 (カリブかいせいさく)

20世紀初頭,カリブ海地域におけるアメリカの政治的優越を確立するためにとられた政策をいう。1898年の米西戦争により,アメリカはスペインにキューバを放棄させ,プエルト・リコをアメリカに譲渡させた。1902年にアメリカはキューバを独立国としたが,干渉権を留保し,また海軍基地を保持することにした。また1901年のイギリスとのヘイ=ポンスフォート条約で,アメリカは単独で中央アメリカ地峡に運河を建設,管理し,防衛することをイギリスに認めさせ,03年にはコロンビアと条約を結んでパナマ運河地帯を租借しようとした。しかしコロンビア議会がその条約の承認に反対したため,パナマ人の反乱が起こると海軍を派遣して彼らを保護し,パナマの独立を認めて,運河地帯の永久租借権を得た。運河の建設は翌年始まり,14年に開通した。その間,アメリカはカリブ海地域にヨーロッパ列強が影響を及ぼすのを排除しようとし,1904年大統領セオドア・ローズベルトは国際的に迷惑を及ぼす小国がある場合,文明国の干渉が必要であるが,そのような場合,西半球ではモンロー主義により,合衆国のみが干渉の任に当たると主張した。それ以来十数年間,アメリカはカリブ海地域の国々の政治が混乱した時には,しばしば海兵隊を派遣して秩序の維持に当たらせた。また対外的な債務が返済できない国がある場合には,アメリカは自国の銀行にその債務を肩代りさせるとともに関税の管理権を獲得して,財政再建を行わせた。このような干渉政策は,これらの国々に〈民主主義を教え〉ようとしたウィルソン大統領の時代に頂点に達したが,第1次大戦後は,この地域におけるアメリカの優位を脅かす可能性のある国もなくなり,一方,ラテン・アメリカ諸国のアメリカのやり方に対する反発が強くなったので,アメリカはしだいに干渉政策を自粛するようになり,30年代には〈善隣政策〉の名の下に,干渉権を否定するにいたった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カリブ海政策」の意味・わかりやすい解説

カリブ海政策
カリブかいせいさく
Caribbean Policy

カリブ海地域 (大小アンティル諸島と中央アメリカ) の諸国に対し,影響力を堅持しようとするアメリカの政策。アメリカは自国の安全保障にとってこの地域が死活的な重要性を有すると考え,アメリカ=スペイン戦争 (1898) 以来たびたび武力干渉を行なった。キューバ独立に際してはプラット修正 (1901) に定める内政介入権を認めさせ,パナマのコロンビアからの独立時にはその援助のために大統領 T.ルーズベルト軍艦を送った。ルーズベルト政権は 1903年のパナマとの運河条約で,運河地帯の永久租借権の獲得に成功した。ルーズベルトは,アメリカにはカリブ海地域で「国際警察力」として活動する責任があると主張し,続く W.タフトと W.ウィルソンの政権も,ドミニカ共和国,ハイチニカラグアなどに対して長期の武力干渉や財政管理を実施した。この後 1930年代に F.ルーズベルトが善隣政策を揚げ不干渉を約束してから,約 30年間アメリカは武力行使を控えた。しかし 59年のキューバ革命で米ソ冷戦がカリブ海に波及すると事情は一変し,65年に L.ジョンソン政権はドミニカ共和国の内戦に武力介入した。さらに 79年にニカラグア革命が起ると,R.レーガン,G.ブッシュの両政権は,隣接諸国へのてこ入れ,反政府ゲリラ (コントラ) の援助,グレナダ派兵 (83) ,パナマ派兵 (89) など,一連のカリブ海政策を活発に展開した。

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百科事典マイペディア 「カリブ海政策」の意味・わかりやすい解説

カリブ海政策【カリブかいせいさく】

1898年の米西戦争アメリカ・スペイン戦争)における勝利に始まる米国のカリブ海進出政策。キューバプエルト・リコの支配に始まり,パナマ運河の支配,全カリブ海の支配へと進んだ。その最初の推進者はT.ローズベルト。支配権の拡大・維持のためにしばしば武力も行使されたが,1930年代に善隣外交に転化した。
→関連項目カリブ海プラット修正

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カリブ海政策」の意味・わかりやすい解説

カリブ海政策
かりぶかいせいさく

カリブ海を「アメリカの湖」とみなし、同地域一帯の勢力圏化を目ざしたアメリカ合衆国の政策。カリブ海地域に対するアメリカの経済的、戦略的関心は、19世紀末のラテンアメリカ市場および太平洋、極東方面への進出とともに強まっていたが、とくにアメリカ・スペイン戦争(1898)後プエルト・リコを領有し、キューバを保護国化し、パナマ運河建設に着手するに及んで、カリブ海地域支配はアメリカ対外政策のかなめとなった。ドミニカ問題をめぐって宣言されたルーズベルト・コロラリー(1904)、タフト政府(1909~13)のドル外交によるニカラグアとハイチの保護国化などは、カリブ海政策確立の一里塚であった。しかし、その後もウィルソン(在任1913~21)からフーバー(在任1929~33)に至る歴代政府は、共和党たると民主党たるとを問わず、カリブ海地域諸国とメキシコに対して干渉を繰り返し、ラテンアメリカ諸国から「北方の巨人」「ヤンキー帝国主義」と非難された。

[高橋 章]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カリブ海政策」の解説

カリブ海政策(カリブかいせいさく)
Caribbean Policy

アメリカが20世紀初頭にカリブ海地域の政治的安定を図るために実施した干渉・介入政策をいう。パナマ運河の建設を契機に戦略的重要性が高まったこの地域の秩序を守るために,アメリカはドミニカニカラグアハイチなどに海兵隊を送った。西半球におけるアメリカの「国際的警察力」の行使を正当化した「モンロー主義のローズヴェルト系論」(1904年)は有名。中南米諸国の反発にあい,30年代に武力干渉を控える善隣外交に代わった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「カリブ海政策」の解説

カリブ海政策
カリブかいせいさく
Caribbean Sea Policy

アメリカの19世紀末以来のカリブ海地域支配の政策
アメリカのフロリダ・テキサス併合と,19世紀後半の近代工業発達はカリブ海地域を原料供給地・市場・資本投下地とする帝国主義政策を生んだ。モンロー主義はT.ローズヴェルト以後,合衆国のラテンアメリカ諸国への国際警察権を認めるものと拡大解釈され,米西(アメリカ−スペイン)戦争によるプエルト−リコの獲得,キューバの保護領化,パナマの独立強行や,その後ドミニカ・ハイチなどへの武力干渉などが行われた。その後,ラテンアメリカの反発が強くなると,1930年代には「善隣外交」の名の下に互恵的関係をめざすようになった。

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