精選版 日本国語大辞典 「フーバー」の意味・読み・例文・類語
フーバー
- ( Herbert Clark Hoover ハーバート=クラーク━ ) アメリカ合衆国第三一代大統領(在任一九二九‐三三)。商務長官として第一次世界大戦後の失業救済、貿易伸長に尽力したが、大統領就任後、大恐慌の克服に失敗した。(一八七四‐一九六四)
ドイツの化学者。ミュンヘンに生まれる。ミュンヘン工科大学で化学を学び、1960年に卒業、同大学にとどまり研究を続けた。1972年にマックス・プランク生化学研究所に入所したが、ミュンヘン工科大学でも研究を続け、1976年には同大学の教授となった。1987年にはマックス・プランク生化学研究所長に就任した。
フーバーは、大学時代から有機化合物の構造決定の研究に着手した。のちにマックス・プランク研究所において、タンパク質のX線構造解析チームのリーダーとして精力的に研究を展開し、フーバー研究室をその分野での世界有数の研究チームに仕上げた。1982年に同研究所のミヘルが光合成細菌から光合成反応中心物質の結晶化に成功したが、ミヘルはフーバーに結晶の解析の共同研究を提案した。フーバーは長年の共同研究者であるダイゼンホーファーとともに結晶のX線構造解析を開始し、色素分子をタンパク質が取り囲んだ複雑な三次元構造の解明に成功した。1988年にフーバーは、ダイゼンホーファー、ミヘルとともにノーベル化学賞を受賞した。
[編集部]
アメリカ合衆国第31代大統領(在任1929~1933)。8月10日アイオワ州生まれ。スタンフォード大学で採鉱学を専攻、メキシコ、カナダなど海外で採鉱事業に従事した(1895~1913)。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)後、ロンドンのアメリカ救済委員会、ベルギー救済委員会、合衆国食糧管理局の長官として卓越した行政能力を発揮した。ハーディング、クーリッジ両共和党政権の下で商務長官を務め(1921~1929)、実業界中心の立場にたちながら繁栄期の経済政策の面で中心的役割を演じ、とくに企業活動の条件の改善と合理化の指導に尽力した。1928年の大統領選挙で共和党から当選した。大恐慌の勃発に際し、当初は楽観的見地にたって連邦政府の介入に消極的態度をとったが、景気の悪化に伴い、復興金融公社の設立(1932)や失業救済事業など積極的な施策に着手、国際経済の分野でも「フーバー・モラトリアム」を提唱した。だが恐慌の克服に失敗し、1932年の選挙で敗北。第二次世界大戦後はフーバー委員会をとおして行政機構改革に尽力した。1964年10月20日没。
[新川健三郎]
アメリカ合衆国第31代大統領。在職1929-33年。アイオワ州に生まれ,幼くして両親を失う。15歳でみずから生計を立て,やがて鉱山技師をめざして新設のスタンフォード大学に入学。卒業後は鉱夫を経て鉱山技師となり,海外での鉱山開発に当たるうちに経営面でも成功し,ついには世界屈指の鉱山事業家となった。自助自立の体験は,彼自身の中に個人主義への強い信奉をはぐくみ,後年,《アメリカの個人主義》(1922)の執筆を生んだ。第1次大戦勃発後は〈ベルギー救済委員会〉の委員長を務め,同地への生活物資救援に貢献した。1917年には,その実務的手腕をウィルソンに買われ,食糧庁長官として非常時の国家の食物管理に当たった。21年,ハーディング政権下で商務長官となり,商務省を拡張し,国内の産業政策に機能化を導入した。クーリッジの下でも引き続き同地位にあったが,28年の選挙では自身共和党から出馬し,大勝した。しかし就任後半年余にして起こった経済恐慌(大恐慌)はフーバー政権の命取りとなり,フーバーは連邦農業委員会の強化や復興金融公庫(RFC)の設立,フーバー・モラトリアムの宣言といった恐慌対策を打ち出しながら,経済復興の十分な成果を示しえず,32年の選挙ではF.D.ローズベルトに大敗した。彼はローズベルトとは相いれるところがなかったが,トルーマン時代(1945-53)には難民救済や行政改革に一役買い,フーバーらしい活躍の幅広さを示した。
執筆者:青木 怜子
スイスの私法・法史学者。スイス民法草案起草者として高名。チューリヒ大学卒業後,同大私講師,新聞編集者などを経て,バーゼル大学正教授となる(1881)。スイス民法典草案の起草を委託されると同時に,ベルン大学教授に就任(1892)。全4巻の大著《スイス私法の体系と歴史》(1886-93)を基礎として,スイス民法典の部分草案を単独で起草したことが彼の名を不朽のものとした。1907年に成立し,12年に施行されたスイス民法典は,法の欠缺性の承認,法文簡潔性の重視など,法の名あて人を法律専門家としたドイツ民法と対比される。《ドイツ物権法におけるゲウェーレの意義》(1894)は,法史学者としての名声を確立した。
執筆者:松倉 耕作
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ドイツの生化学者.ミュンヘン工科大学で化学を学び,ジアゾ化合物の結晶構造の研究で,1963年博士号を取得.マックス・プランク協会生化学研究所所員を経て,1972年より同研究所構造研究部門部長,1987年同研究所所長となる.また,1976年よりミュンヘン工科大学教授を兼任.1982年同研究所のH. Michel(ミヘル)が光合成細菌Rhodopseudomonas vidridisから単離した光合成反応中心複合体(膜タンパク質の一種)の三次元構造を,J. Deisenhofer(ダイゼンホーファー)とともにX線回折を用いて解析した.電子伝達成分である光合成色素の相互配置や,タンパク質サブユニットの構造,色素分子とタンパク質の相互作用を明らかにし,光合成の初期段階における電子伝達機構を解明した.1988年Michel,Deisenhoferとともにノーベル化学賞を受賞した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…世界で最初の体系的な技術書として,18世紀半ばまでヨーロッパの鉱山関係者にとってのバイブルとされた。1912年アメリカの大統領であったH.C.フーバー夫妻が英語版に翻訳してから世界的に知られるようになり,日本でも68年に全訳とその研究に関する本が刊行されている。【雀部 晶】。…
※「フーバー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新