カロル1世(英語表記)Carol I

改訂新版 世界大百科事典 「カロル1世」の意味・わかりやすい解説

カロル[1世]
Carol I
生没年:1839-1914

ルーマニア国王在位1881-1914年。ホーエンツォレルン・ジークマリンゲン公。軍人となりプロイセン首相を務めたのち,1866年に列強の後ろだてでルーマニア公,81年には同国の初代国王となった。プロイセンの兵制にならってルーマニア軍を改編し,外交上も親ドイツ・オーストリア政策を推進したが,第1次世界大戦勃発直後にひらかれた御前会議で国王の主張はいれられず,ルーマニアは中立の立場をとった。王妃カルメンシルバCarmen Sylvaの筆名で知られる詩人
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カロル1世」の意味・わかりやすい解説

カロル1世
カロルいっせい
Carol I von Hohenzollern-Sigmaringen

[生]1839.4.20. ジークマリンゲン
[没]1914.10.10. シナヤ
ルーマニア王国初代の王 (在位 1881~1914) 。ドイツのホーエンツォレルン=ジークマリンゲン家の出身。プロシア軍に任官従兄のナポレオン3世の仲介で,1866年ルーマニア公となり,81年ルーマニア王国の成立に伴い初代国王に即位内政改革軍備拡張,産業振興に努力。しかし農民問題の解決を怠り,1907年の大反乱を招いた。初め親ドイツ的傾向のため不人気であったが,ルーマニアの国際的地位の向上,特にオスマン帝国からの独立に外交的手腕を発揮して支持を集めた。自由党保守党に交互に政権を担当させ,巧みに内政を操縦したが,結果として責任内閣制の成立を遅らせることになった。

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20世紀西洋人名事典 「カロル1世」の解説

カロル1世
Carol Ⅰ


1839 - 1914
ルーマニア国籍。
元・ルーマニア国王。
南ドイツ生まれ。
旧名カルル・アイテルフリードリヒ
南ドイツのホーエンツォレルン・ジグマリンゲン公家に生まれた。ドレスデンとボンで教育を受け、軍人となり、プロイセン軍の首相を務めた後、1866年にルーマニア公、1881年に同国の初代国王となり1914年まで在位した。ベルギーに倣った憲法を交布した。1883年にオーストリア・ハンガリー及びドイツと秘密同盟条約を結んだが国民は親仏的で政府は第一次大戦で中立を宣言した為、失意のうちに病死した。王妃はカルメン・シルバの筆名で知られる詩人。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「カロル1世」の解説

カロル1世(カロルいっせい)
Carol Ⅰ

1839~1914(在位1881~1914)

ルーマニア王。プロイセンより迎えられ,統一ルーマニアの公となった。ベルリン会議オスマン帝国からの独立を達成し,81年に初代国王になると,行政組織や軍制の改革,鉄道建設を推進し,ルーマニアの近代化に大きな役割を果たした。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「カロル1世」の解説

カロル1世

生年月日:1839年4月20日
ルーマニア初代の国王(在位1881〜1914)
1914年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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