カンツォニエーレ(英語表記)Canzoniere

デジタル大辞泉 「カンツォニエーレ」の意味・読み・例文・類語

カンツォニエーレ(〈イタリア〉Canzoniere)

ルネサンス期のイタリアの詩人ペトラルカによる叙情詩集俗語詩断片集」の通称ラウラという女性への愛を主題とし、後世ヨーロッパ抒情詩に大きな影響を与えた。1374年、作者の死の直前に完成。366篇の詩を収める。
イタリアの詩人、サーバの全詩集に倣ったタイトルで、1921年に初版刊行。以後、新しい作品群を取り込む形で改版を繰り返し、没後刊行の1961年版までに合わせて六つの版を刊行。

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改訂新版 世界大百科事典 「カンツォニエーレ」の意味・わかりやすい解説

カンツォニエーレ
Canzoniere

ペトラルカのイタリア語詩集。題名の《カンツォニエーレ(抒情詩集)》は後世の呼び方で,正式には《俗語詩断片集Rerum vulgarium fragmenta》という。詩集の制作に着手したのが1342年,以後,増補推敲を重ね74年死の間際に完成した第9稿が決定稿とされる。収める詩編は366,内訳はソネット317,カンツォーネ29,セスティーナ9,バラータ7,マドリガーレ4。プロバンスに始まる中世俗語詩の伝統を受け継いで〈愛〉を中心主題とする。ダンテが中世キリスト教の統一的世界観に支えられてベアトリーチェのなかに神の愛を見届けたのに対し,ペトラルカは中世秩序が崩壊するなかで辛うじてラウラへの愛を自己の内側に守った。こうしてラウラは詩人の私的世界に生きることとなり,俗界を逃れた孤独な詩人は,つかの間の幻想や追憶のうちに淡くひろがる〈愛〉の光の苦い至福に浸る。そして希望と絶望のあいだに揺れる不安な心情吐露がペトラルカの歌となった。詩集は2部に分かれ,ラウラの生前と死後にほぼ対応している。中世詩との相違内容にとどまらず,ルネサンス様式を予感させるその洗練された詩語調和のとれた詩型は,15,16世紀の西欧において盛んに模倣され,通俗なものとさえなったが,現実に抗して自らの私的世界を守ったペトラルカの詩的態度は,イタリア抒情詩を決定的に方向づけ,その〈愛〉は形を変えて現代まで受け継がれている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カンツォニエーレ」の意味・わかりやすい解説

カンツォニエーレ
かんつぉにえーれ
Canzoniere

イタリアの詩人ペトラルカのイタリア語による叙情詩集。このタイトルは後世の通称で、正式の書名は『俗語詩断片集』Rerum vulgarium fragmenta。詩集の構想は推定によるとすでに1330年代後半に兆し、死(1374)によって中断されるまで幾度となく増補と推敲(すいこう)が重ねられ、不動の形式美に到達した。最終稿に収める詩編は366、内訳はソネット317、カンツォーネ29、セスティーナ9、バッラータ7、マドリガーレ4。教皇庁の腐敗を批判したり、イタリアの覚醒(かくせい)を呼びかける詩もあるが、大部分は美女ラウラへの愛を主題とする。全体は2部に分かれ、従来の説はラウラの生前と死後に対応させてきたが、現在は、永遠と地上のはざまで苦悩する詩人の内面の決定的転換に基づくとする見方が有力。ラウラは詩人にとって、無限と有限の間の調和と矛盾を一身に体現していた。なお近代叙情詩の源として後世に及ぼした影響は計り知れない。

[林 和宏]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カンツォニエーレ」の意味・わかりやすい解説

カンツォニエーレ
Canzoniere

イタリアの詩人フランチェスコ・ペトラルカの詩集。 1350年刊。訳題は一般に『抒情詩集』であるが,原題はラテン語で Rerum vulgarium fragmenta (俗事詩抄) 。南仏アビニョンでめぐりあった金髪の佳人ラウラへの愛を主題に据えている。詩集の構成はラウラの死を境に2部に分れ,全 360編を貫く詩人の内省のまなざしは,文学に「悩める自我」を最初に持込んだものとして,後世にきわめて大きな影響を及ぼした。

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世界大百科事典(旧版)内のカンツォニエーレの言及

【イタリア文学】より


[近代の誕生]
 このように,ダンテの文学が本質的に過去への展望をはらんでいたのに対して,ほとんど同時代に生きながら,F.ペトラルカとG.ボッカッチョとは,彼らの文芸思想と文学作品の両面において,イタリア文学を大きく近代へ向かって用意した。ペトラルカは俗事詩抄《カンツォニエーレ》において,ラウラへの〈愛〉を軸に,まさに完璧な抒情詩の世界をつくりあげ,〈ペトラルキズモ〉はその後数百年間にわたって詩史に君臨し,現代詩にいたるまで強い影響を与えている。他方,ボッカッチョは《デカメロン》(〈十日百話〉)を著して,ダンテにならい完全数を守りながらも,物語を逆の方向へ展開させた。…

【サーバ】より

…幼年期の原体験,イタリア詩壇への違和,第1次大戦時の軍務体験,ファシズム治下の人種迫害からの逃亡生活,そして生まれた街と,妻リーナと,乏しい生活の糧をそこから得たトリエステの古書店サーバ書房への深い愛着など,辛苦と困窮の生涯を歌った詩集がいわば彼の自伝そのものである。処女作の《詩集》(1911)以下,《トリエステとひとりの女》(1910‐12),《序曲と歌声》(1923),《死にした心》(1925‐30),《言葉》(1934)などの詩集を有機的に組み入れて《カンツォニエーレIl canzoniere》(初版1921,決定版1957)に集成した。散文作品に《近道と掌編》(1946),《追想・短編》(1956),没後公にされた小説《エルネスト》(1975),ある作家との往復書簡集《老人と青年》(1965)ほかがある。…

【トスカナ[州]】より

…【清水 広一郎】
【イタリア文学におけるトスカナ】
 イタリア文学のなかにトスカナが占める位置を知るには,まずダンテ,ペトラルカ,ボッカッチョの名を想起する必要がある。《神曲》《カンツォニエーレ》《デカメロン》,この三つの傑作は,イタリア文学にとってまごうかたなき古典であり,叙事詩,抒情詩,散文物語の各分野で確固たる伝統を築き上げた。ただし,《神曲》の筆が執られたのはフィレンツェ追放後であり,ペトラルカにいたっては幼くしてすでにトスカナの地を去っている。…

【ペトラルカ】より

…そして翌27年4月6日の聖金曜日,聖クララ教会で,生涯にわたって詩的霊感の源泉となる女性ラウラを見,決定的な愛にとらえられた。愛の光と闇をうたう《カンツォニエーレ》の抒情詩人がこうして誕生した。 30年ころ経済的理由から聖職に就いた詩人は,まもなくローマの名門貴族の子で枢機卿のジョバンニ・コロンナに仕えた。…

【ラウラ】より

…ペトラルカが生涯愛し続け,抒情詩集《カンツォニエーレ》のなかでその愛をうたった女性。詩人によれば,1327年4月6日の聖金曜日,アビニョンの聖女クララ教会で初めてその姿を目にし,そして48年の同じ4月6日に天へ昇ったという。…

※「カンツォニエーレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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