ペトラルカのイタリア語詩集。題名の《カンツォニエーレ(抒情詩集)》は後世の呼び方で,正式には《俗語詩断片集Rerum vulgarium fragmenta》という。詩集の制作に着手したのが1342年,以後,増補と推敲を重ね74年死の間際に完成した第9稿が決定稿とされる。収める詩編は366,内訳はソネット317,カンツォーネ29,セスティーナ9,バラータ7,マドリガーレ4。プロバンスに始まる中世俗語詩の伝統を受け継いで〈愛〉を中心主題とする。ダンテが中世キリスト教の統一的世界観に支えられてベアトリーチェのなかに神の愛を見届けたのに対し,ペトラルカは中世秩序が崩壊するなかで辛うじてラウラへの愛を自己の内側に守った。こうしてラウラは詩人の私的世界に生きることとなり,俗界を逃れた孤独な詩人は,つかの間の幻想や追憶のうちに淡くひろがる〈愛〉の光の苦い至福に浸る。そして希望と絶望のあいだに揺れる不安な心情の吐露がペトラルカの歌となった。詩集は2部に分かれ,ラウラの生前と死後にほぼ対応している。中世詩との相違は内容にとどまらず,ルネサンス様式を予感させるその洗練された詩語と調和のとれた詩型は,15,16世紀の西欧において盛んに模倣され,通俗なものとさえなったが,現実に抗して自らの私的世界を守ったペトラルカの詩的態度は,イタリア抒情詩を決定的に方向づけ,その〈愛〉は形を変えて現代まで受け継がれている。
執筆者:林 和宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イタリアの詩人ペトラルカのイタリア語による叙情詩集。このタイトルは後世の通称で、正式の書名は『俗語詩断片集』Rerum vulgarium fragmenta。詩集の構想は推定によるとすでに1330年代後半に兆し、死(1374)によって中断されるまで幾度となく増補と推敲(すいこう)が重ねられ、不動の形式美に到達した。最終稿に収める詩編は366、内訳はソネット317、カンツォーネ29、セスティーナ9、バッラータ7、マドリガーレ4。教皇庁の腐敗を批判したり、イタリアの覚醒(かくせい)を呼びかける詩もあるが、大部分は美女ラウラへの愛を主題とする。全体は2部に分かれ、従来の説はラウラの生前と死後に対応させてきたが、現在は、永遠と地上のはざまで苦悩する詩人の内面の決定的転換に基づくとする見方が有力。ラウラは詩人にとって、無限と有限の間の調和と矛盾を一身に体現していた。なお近代叙情詩の源として後世に及ぼした影響は計り知れない。
[林 和宏]
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[近代の誕生]
このように,ダンテの文学が本質的に過去への展望をはらんでいたのに対して,ほとんど同時代に生きながら,F.ペトラルカとG.ボッカッチョとは,彼らの文芸思想と文学作品の両面において,イタリア文学を大きく近代へ向かって用意した。ペトラルカは俗事詩抄《カンツォニエーレ》において,ラウラへの〈愛〉を軸に,まさに完璧な抒情詩の世界をつくりあげ,〈ペトラルキズモ〉はその後数百年間にわたって詩史に君臨し,現代詩にいたるまで強い影響を与えている。他方,ボッカッチョは《デカメロン》(〈十日百話〉)を著して,ダンテにならい完全数を守りながらも,物語を逆の方向へ展開させた。…
…幼年期の原体験,イタリア詩壇への違和,第1次大戦時の軍務体験,ファシズム治下の人種迫害からの逃亡生活,そして生まれた街と,妻リーナと,乏しい生活の糧をそこから得たトリエステの古書店サーバ書房への深い愛着など,辛苦と困窮の生涯を歌った詩集がいわば彼の自伝そのものである。処女作の《詩集》(1911)以下,《トリエステとひとりの女》(1910‐12),《序曲と歌声》(1923),《死にした心》(1925‐30),《言葉》(1934)などの詩集を有機的に組み入れて《カンツォニエーレIl canzoniere》(初版1921,決定版1957)に集成した。散文作品に《近道と掌編》(1946),《追想・短編》(1956),没後公にされた小説《エルネスト》(1975),ある作家との往復書簡集《老人と青年》(1965)ほかがある。…
…【清水 広一郎】
【イタリア文学におけるトスカナ】
イタリア文学のなかにトスカナが占める位置を知るには,まずダンテ,ペトラルカ,ボッカッチョの名を想起する必要がある。《神曲》《カンツォニエーレ》《デカメロン》,この三つの傑作は,イタリア文学にとってまごうかたなき古典であり,叙事詩,抒情詩,散文物語の各分野で確固たる伝統を築き上げた。ただし,《神曲》の筆が執られたのはフィレンツェ追放後であり,ペトラルカにいたっては幼くしてすでにトスカナの地を去っている。…
…そして翌27年4月6日の聖金曜日,聖クララ教会で,生涯にわたって詩的霊感の源泉となる女性ラウラを見,決定的な愛にとらえられた。愛の光と闇をうたう《カンツォニエーレ》の抒情詩人がこうして誕生した。 30年ころ経済的理由から聖職に就いた詩人は,まもなくローマの名門貴族の子で枢機卿のジョバンニ・コロンナに仕えた。…
…ペトラルカが生涯愛し続け,抒情詩集《カンツォニエーレ》のなかでその愛をうたった女性。詩人によれば,1327年4月6日の聖金曜日,アビニョンの聖女クララ教会で初めてその姿を目にし,そして48年の同じ4月6日に天へ昇ったという。…
※「カンツォニエーレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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