翻訳|Beatrice
イタリアの大詩人ダンテが,《新生》《饗宴》《神曲》のなかに描いた女性。ダンテ諸作品の注釈家たちによって,古来,フィレンツェの名門フォルコ・ディ・リコーベロ・デイ・ポルティナーリFolco di Ricovero dei Portinariの娘ビーチェBiceであるとされてきた。長じて銀行家シモーネ・デイ・バルディSimone dei Bardiに嫁ぎ,1296年6月8日に31歳で没した。ボッカッチョもこの女性をダンテ作中のベアトリーチェに非常に近い人物としているが,本来ベアトリーチェという言葉には〈至福を与える女〉の意味が含まれていて,ダンテ自身《新生》のなかで,彼女と出会ったのは両者が9歳のとき,またその9年後にも出会ったと説くなど,象徴的存在であることは否定できない。さらに,《新生》のなかのベアトリーチェが,〈清新体派〉のめざした〈高貴なる女性〉をあらわそうとしているのに引き換え,《饗宴》のなかのベアトリーチェは〈哲学〉と同一視される存在であり,さらにまた早世したベアトリーチェは《神曲》のなかで〈愛〉の寓意となっていることなどから,多数の批評家によって多様な解釈が下されてきた。
日本においても,キリスト者やラファエル前派の影響を受けた翻訳・紹介者たちには,〈久遠の女性〉として好んで実在説が取り入れられた。これに対して正宗白鳥,花田清輝らは,純粋に文学者の立場から批判をし,白鳥は自分がダンテの作品にひかれるのは〈一少女への憧れからではない〉と述べた。
執筆者:河島 英昭
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イタリア中世末期の大詩人ダンテが『新生』『神曲』などに詩的に描いた女性。清新体派の代表的詩文集『新生』のなかでは、ダンテとベアトリーチェがそれぞれ9歳のときに初めて出会い、さらに9年後にまた巡り会ってダンテは詩的霊感を受けるが、まもなく彼女は亡くなってしまう。『神曲』のなかでは、「地獄編」から「煉獄(れんごく)編」にかけて、ラテンの大詩人ウェルギリウスの霊魂に導かれてダンテは彼岸(ひがん)の世界の旅をするが、煉獄山上の楽園から「天国編」にかけては、ベアトリーチェの霊魂に導かれて神の真理をかいまみる。このことから、ベアトリーチェを「愛」の寓意(ぐうい)と解釈するのが一般であるが、彼女を実在の理想の女性とする説もある。フィレンツェ共和国の名門フォルコ・ディ・リコーベロ・ディ・ポルティナーリの娘ビーチェがそれであり、彼女は銀行家シモーネ・ディ・バルディに嫁して、1296年6月8日に31歳で没した。
日本においては、明治から大正にかけて、もっぱらキリスト者やラファエル前派の影響を受けた詩的解釈によってダンテの翻訳紹介が行われ、上田敏(びん)や阿部次郎らもベアトリーチェを実在した久遠の女性ととらえている。ただし、正宗(まさむね)白鳥や花田清輝(きよてる)らのごとくこれを冷静に批判するダンテの読み手たちもいた。
[河島英昭]
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…この自負は,〈愛〉をめぐる詩法の転換に基づいている。 長いあいだ中世文学の主要な関心事であった〈愛〉は,ダンテにいたってベアトリーチェを見いだし,三位一体説を詩的構造に取り入れることによって,寓意としての〈愛〉になった。《新生》のなかで,詩人は9歳の終りごろ,9歳の初めに近い少女に出会い,さらに9年後には美しく成長したベアトリーチェ(愛を与える者)に再会したと述べる。…
…内訳は短詩28編とカンツォーネ編で,これらの詩編を中央のカンツォーネの前後に振りわけて,10+(10+1)+10=31編という構造をとらせ,三位一体説の数字に基づき(32+1=10),〈愛〉の物語を展開する。ダンテが9歳のときに同じく9歳の少女ベアトリーチェに恋心を抱いたという形をとっているために,古来,現実的で清純な〈愛〉を歌った物語として読まれる傾向があり,とくにロマン主義的解釈とラファエル前派の詩人たちの影響もあって,日本にはこの種の解釈による翻訳と紹介がなされてきた。しかしながら,《新生》は何よりも清新体派の詩人群のなかにあって,寓意の〈愛〉を軸に新しい文学的境地をひらいたダンテの詩論の書であり,かつ詩的宣言の書である。…
…《神曲》のなかでダンテの導き手となったウェルギリウスに代表されるように,ラテン諸作家を規範としただけでなく,古代ギリシアの文学的伝統やアラブ世界の思想も取り入れ,他方ではシチリア派やトスカナ派の詩人たちと実作上の詩法を競い,G.カバルカンティとグイニッツェリGuido Guinizzelliの影響を受けて,〈愛〉の詩的概念を転換させ,《新生》を著して清新体派の雄となった。その詩的契機が,1274年のベアトリーチェとの出会いである。 青年時代のダンテはフィレンツェの市政に積極的に従事するとともに,政争の渦中に巻きこまれてゆく。…
※「ベアトリーチェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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