スペイン(カタルーニャ)の建築家。6月26日カタルーニャのレウスに生まれる。父は銅細工師で、経済的にはあまり恵まれない環境に育った。1874年バルセロナの建築学校に入学したが、在学中からビリャールFrancisco de Paula del Villar y Lozano(1828―1903)やフォントセレJosep Fontsere i Mestres(?―1897)などの著名な建築家の仕事を手伝って実務を学んだ。78年の卒業後、マタロ労働者協同組合機械工場(1882)の設計を手始めに、精力的な設計活動を開始した。たとえば、ビセンス邸(1885)、別荘「エル・カプリチョ」(1885)、グエル別邸(1888)、グエル邸(1889)などが彼の初期を飾る作品群であり、いずれもスペインに特有のイスラム系デザインの投影がみられる美しい装飾的細部をもつ。この時期の仕事を通して、建築家としての彼の後の生涯に重要なかかわりをもち、パトロンとなったコミリャス侯爵やグエル家の人々と出会っている。
1883年には、ガウディは、ビリャールから引き継いで、バルセロナのサグラダ・ファミリア教会の設計責任者となり、この仕事は彼の死に至るまで続いた。
1890年代には、聖テレジア学院(1890)や、アストルガ監督教会司教館(1893)、レオンのボチネス邸(1894)などがつくられたが、この時期にはゴシック系のデザインがしばしば取り入れられた。1892年にはモロッコに旅し、タンジールのフランシスコ修道会の建物の設計を行ったが実現しなかった。
1900年を境にして、ガウディの設計は前期と後期に分かれる。20世紀に入ると、ガウディは過去の建築様式の制約からほとんど自由になり、大胆な構造による空間と、奔放な意匠と装飾をもつ、きわめて独創的な作品を実現するようになる。たとえば、カサ・カルベット(1904)、カサ・バトロ(1906)、カサ・ミラ(1910)などの一連の住宅建築の傑作が一方にあり、他方にはグエル公園(1900~14)、コロニア・グエルの聖堂(1908~14、地下祭室のみが実現)などの仕事があった。とくに注目すべき点は、大規模な空間を被覆する建物の設計で彼が示した創意に満ちた構造的な処理方法であった。
また1883年以来のサグラダ・ファミリア教会の仕事は、最初に地下祭室を完成させたのち、アプス(後陣)の外壁面、付属幼稚園、キリストの降誕を象徴する東側袖廊(しゅうろう)のファサード(正面)と4本の塔などを完成させた。しかし、ガウディはバルセロナで交通事故により1926年6月7日に没した。工事は一時中断したが、第二次世界大戦後、彼のデザインをもとに工事が続けられ、西側袖廊のキリスト受難を象徴するファサードと塔が現在完成している。
[長谷川堯]
『中山公男・磯崎新他編『ガウディ全作品』全2巻(1979・六耀社)』▽『中山公男・東野芳明他著『ガウディを〈読む〉』(1984・現代企画室)』▽『バセコーダ解説、石崎優子・入江正之訳『ガウディの作品』(1985・六耀社)』▽『入江正之著『アントニオ・ガウディ論』(1997・早稲田大学出版部)』▽『北川圭子著『ガウディの生涯』(朝日文庫)』
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スペインの建築家。1878年,バルセロナの建築学校を卒業。ゴシック建築の合理性の発展,カタルニャ独自の建築技術の適用,イスラム風の装飾性などの諸要素を彼独自の詩想のなかで融合し,バルセロナおよびその周辺,さらにアストルガ,レオンなどにもその建築を残している。とりわけ,当時のカタルニャの代表的な実業家グエル侯爵との交友のもとに建築した《フィンカ・グエル》(1864-87),《グエル邸》(1886-89),《グエル公園》(1900-14),《コロニア・グエルの地下聖堂》(1908-16)のほか,《カサ・ミラ》(1906-10)や現在でも建築続行中の聖家族贖罪教会(サグラダ・ファミリア教会,1883-)が名高い。彼の作品は,機能主義建築全盛の風潮のなかで,長く無視もしくは異端視されたが,今日では,その独自な構造の合理性,アール・ヌーボーの先駆的地位,環境との適応,象徴性など,さまざまな点で再評価されつつある。
執筆者:中山 公男
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1852~1926
スペイン,カタルニャのモダニズム建築家。レウスの生まれ。イスラーム美術,ゴシックやバロック様式を中心に,さまざまな美術様式を縦横に利用した独特の建築様式を確立したが,第二次世界大戦後までその作品は評価されなかった。
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…アール・ヌーボーの代表的作例であるオルタによるタッセル邸(1892‐93)やギマールによるパリの地下鉄入口では,創意に満ちた曲線的モティーフが見られた。同時にアール・ヌーボーの周辺では,〈シカゴ派〉に属するL.H.サリバンが高層ビルの原型を実現しつつあり,グラスゴーではマッキントッシュがオーストリアに影響を与えることになる直線的様式を発展させつつあり,またスペインのガウディは,ゴシック原理に基づきつつ,うねるような曲線を多用した独自の造形を追究していた。北欧やオランダでは中世建築の手づくりの造形を新しく再生させる試みがつづけられ,20世紀に入ってから,〈アムステルダム派〉を形成してゆく。…
…世紀末の建築家ガウディがスペイン・カタルニャのバルセロナに残した未完の大作。〈聖家族(サグラダ・ファミリア)〉にささげる贖罪教会として1882年ネオ・ゴシック様式で着工,翌年から彼が工事監督者となり,死去するまでの43年間設計施工にあたった。…
…絵画を例にとれば,宗教画が圧倒的で,神話画は数えるほどしかなく,裸婦像にいたっては,ともに宮廷画家という特殊な立場にいたベラスケスの《鏡を見るビーナス》とゴヤの《裸のマハ》の2枚しか現存しないのである。しかし,こうした非ヨーロッパ的とさえ思える古さが,さまざまな文化原理や様式の混在と同様に,決してマイナス要因のみでないことは,すでに触れた美術現象や巨匠たち,さらにガウディ,ピカソ,ミロ,ダリといった19世紀から20世紀にかけての巨匠たちを想起すれば明らかであろう。文化の外縁性,境界性という情況に由来するさまざまな障害をプラス要因に変え,それらを新生の原理と融合させ,自己の感性に一致した偉大な創造を達成しうるのは天才のみであろう。…
…モンジュイクMontjuich丘のカタルニャ美術館は,タウルTahullほか当地方のロマネスク教会から移した壁画で知られる。A.ガウディによるサグラダ・ファミリア教会(建造中)と市内を見下ろすグエル公園が,奇抜な形態と多色の陶板とできらめいている。ピカソ美術館,ミロ美術館もある。…
※「ガウディ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...
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