イギリスの童話作家。本名はドジソンCharles Lutwidge Dodgson。チェシャー地方の牧師の家に11人兄弟姉妹の第3子,長男として生まれた。有名なパブリック・スクール,ラグビー校に入学したが,男子全寮制の校風が肌に合わず,休暇に帰郷して,自作のノンセンス詩や漫画を載せた手書きの家族回覧雑誌を発行するのを楽しみにしていた。オックスフォード大学クライストチャーチ学寮に進み,卒業とともに数学講師となり,その独身の生涯のほとんどをここで過ごすことになる。本業のかたわら,本名のつづり字を並べかえて作った筆名ルイス・キャロルのもとに戯作を寄稿。また写真に熱中して,有名人や少女たちの肖像を数多く撮り,写真史上に足跡を残した。1862年,学寮長リデル博士の3人娘をピクニックに連れ出し,その途中,次女アリスを主人公にした物語を即興で語って聞かせたが,これが《不思議の国のアリス》(1865)の原型となった。姉妹編《鏡の国のアリス》(1871)が出版されたころは,すでにリデル家との関係が悪化し,アリスともほとんど会うことがなかった。もう一つの代表作《スナーク狩り》(1876)は新しい少女友だちにささげられている。三つの傑作から,さまざまななぞなぞ,言葉遊び,論理ゲームにいたるまで,キャロルの想像力はつねに触媒として子ども(少女)を必要としていた。子どもと話すときだけどもらなかったといわれる彼は,おそらく子どもを相手にしたときにのみ,19世紀市民社会の道徳的・心理的抑圧を逃れて,善悪の彼岸に遊ぶことができたのであろう。その遊びは,言語や論理についての常識をくつがえし,夢や無意識を復権するに足る力を秘めていた。キャロルのノンセンスが後にシュルレアリストや精神分析家や言語哲学者たちを魅了するのは,そのためである。晩年の長編小説《シルビアとブルーノ》(1889,完結編は1893)はノンセンス性が失われた分だけ失敗作となっている。
→アリス物語
執筆者:高橋 康也
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中世後期からルネサンス初頭にかけてイギリスで繁栄した歌の一種。民衆的な舞踏歌、民衆的な宗教歌、行列式などで歌われる典礼歌などさまざまな形態があり、単旋律のものもポリフォニー楽曲もあった。聖母マリアやキリスト降誕を祝う聖者たちをはじめ、キリストの受難や復活、さらには恋愛や社会的、政治的できごとに至るまで、さまざまな内容を英語またはラテン語で歌っている。宗教改革以後、典礼形式の変化などに伴ってキャロルの内容も変化していった。今日では一般に、クリスマスに関連した歌のことを意味し、クリスマス・キャロルとよばれている。
[今谷和徳]
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…しかし,フランスの詩人・音楽家マショーによるポリフォニックな通作ミサ曲(ミサ通常文を一貫して多声部の楽曲に作出したもの。ミサ曲)をはじめとする諸作品があり,また俗語を歌詞とする宗教的な歌曲ラウダlauda(イタリア)やキャロルcarol(イギリス)なども隆盛に向かった。 15~16世紀は,ルネサンスの古典対位法の作曲技法の完成によって,ミサ曲やモテットなどの合唱ポリフォニーの作品が,比類のない芸術的な高みに達した時代である。…
…とくに,クリスマスが子どもを中心とする家族の祭りとなったことがこの時代の特徴である。クリスマス・ツリー,サンタ・クロース,クリスマス・カードが導入され,クリスマス・キャロルが復活し,クリスマス・プレゼントやクリスマス正餐(ディナー)が庶民の家庭に進出した。今日のクリスマスはこのときから始まった。…
…クリスマスの時期に歌われる宗教的な民謡を総称する。ただし,キャロルは英語の呼び方で,フランスではノエルnoël,ドイツではクリスマスのリートWeihnachtslied,スペインではビリャンシーコvillancicoと呼ばれる。どの国の場合も,親しみやすく明るい調子の曲が多い。…
…キリスト教権の強かった中世では,舞踏は異教的なもの,非宗教的なものとして,その音楽も記譜されることがなかったからである。しかし,トルバドゥールたちの出現とともに,一定の形式をもつ輪舞形態のエスタンピーやキャロルが誕生し,歌われたり楽器で奏されたりし始めた。やがて舞踏が宮廷生活に不可欠なものとなると,舞曲も目ざましい発展を遂げる。…
…古代の巫女の予言がこの手法によるなぞ掛けになっていたともいわれるが,近代では,献詩に用いたりすることが多い。《鏡の国のアリス》末尾の詩にアリス・リデルの名を読みこんだキャロルはその名手であった。行末の字でさらに仕掛けたものを〈ダブル・アクロスティック〉という。…
…イギリスのルイス・キャロルが書いた《不思議の国のアリスAlice’s Adventures in Wonderland》(1865)と《鏡の国のアリスThrough the Looking‐Glass》(1871)の2編の童話。前者では,白ウサギのあとを追ってウサギ穴に落ちた少女アリスが,地下の国で,身長の伸び縮みや,涙の池や,気違いティー・パーティなど,多くの冒険を味わい,気違い帽子屋やチェシャー猫など,かずかずの人物・動物に会う。…
…ルネサンスおよびそれに続くマニエリスムの時代には,シェークスピアやラブレーを頂点として,言語遊戯は黄金期を迎えた。合理主義・写実主義を奉ずる近代文学は言語遊戯を排したが,そのさなかの19世紀中葉のイギリスに,L.キャロルが子ども向けノンセンスの装いのもとに言語遊戯の天才を発揮し,〈マザーグース〉などに連綿と存続していた伝統を復活した。20世紀に入ると,ダダやシュルレアリスムが日常的言語の破壊を敢行し,現代文学の極点ともいうべきJ.ジョイスの《フィネガンズ・ウェークFinnegans Wake》(1939)にいたって,文学は巨大で神話的な言語遊戯そのものと化した感がある。…
…しかし18世紀を支配したJ.J.ルソーの教育説はたくさんの心酔者を出して,児童文学は型にはまり,C.ラムは姉メアリーとともにこの風潮に反抗して,《シェークスピア物語》(1807)などを書いたが,児童文学が自由な固有の世界となるには,ペローやグリム,アンデルセンの翻訳をまたなければならなかった。しばしば子どもたちの実態を小説に描いたC.ディケンズは《クリスマス・キャロル》を1843年にあらわし,E.リアは滑稽な5行詩による感覚的なノンセンスの楽しみを《ノンセンスの本》(1846)にまとめた。 空想の国へ子どもをさそうファンタジーは,C.キングズリーの《水の子》(1863)を経て,L.キャロルの《不思議の国のアリス(アリス物語)》(1865)でみごとな花をさかせた。…
…ナダールもパリのスタジオを訪れる名士たちのすぐれた肖像を撮っていたが,彼はほかにも気球の上から空中写真を撮るなどさまざまな撮影を試みた才人であった。また同じころに《不思議の国のアリス》の作者L.キャロルは少女たちの愛すべき写真の数々を残している。 このように肖像というものは当時の写真の主要な表現主題であったが,大衆の要求に応えた大量の肖像写真は,社会史的に見れば,人々が写真そのものと親しみを深める役を果たし,絵画とは違う写真の特性についての知識の普及に役立った。…
…童謡の富を吸収して,19世紀中葉にノンセンス文学のジャンルを確立したのは2人のイギリス人であった。リメリックと呼ばれる詩型の戯詩に漫画をつけて《ノンセンスの絵本》(1846)を出版したE.リア,および専門の論理学を遊戯的に応用してノンセンスの可能性を十二分に展開した《不思議の国のアリス》(1865),《鏡の国のアリス》(1871)の著者L.キャロルである。ドイツに奇才モルゲンシュテルンが現れたのも19世紀後半だった。…
…風刺やパロディが社会批判の役割をもった攻撃性の強い笑いだとすれば,こちらは比喩や言葉遊びに基づいて〈おかしみ〉を楽しむ要素がより強い。その種の愉快な伝承歌謡〈マザーグース〉をもつイギリスは,E.リアの《ノンセンスの絵本》(1846)やL.キャロルの《不思議の国のアリス》(1865。アリス物語)といった代表作を生み出した。…
※「キャロル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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