カロル(読み)カロル[クールラントこう](英語表記)K. S. Karol

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カロル」の意味・わかりやすい解説

カロル[クールラント公]
カロル[クールラントこう]
Karol, Książę Kurlandzki

[生]1733.7.13.
[没]1796.6.16.
ポーランド王アウグスト3世(フリードリヒ・アウグスト2世)の子。1759年クールラント公に任命されたが,この辺境地の統治には関心を示さず,1760年にはポーランド領主クラシンスキ家のフランチシュカと結婚,1763年にロシア女帝エカテリーナ2世画策でクールラントから追放された。1768年にいたってクラシンスキ家の指導にあたり,またロシアと親ロシア的な王スタニスワフ2世アウグスト・ポニャトフスキに対抗するバール連盟結成をみてから,その一部勢力によりポーランド王に擁立されたが,1772年の連盟軍の敗北で実現をみなかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カロル」の意味・わかりやすい解説

カロル(1世)
かろる
Carol Ⅰ
(1839―1914)

ルーマニア国王(在位1881~1914)。南ドイツのホーエンツォレルン・ジグマリンゲン公家に生まれ、ルーマニアにくるまではカルル・アイテル・フリードリヒとよばれた。ドレスデンとボンで教育を受け、プロイセン軍の士官になった。ルーマニア自治公国の初代大公クーザが1866年に失脚すると、その後任として迎えられ、即位してカロルと名のった(在位1866~81)。ベルギーに倣った憲法を公布、保守党と自由党を巧みに操作して支配を続けた。81年に独立王国を宣言、国王の称号を得た。83年オーストリア・ハンガリーおよびドイツと秘密同盟条約を結んだが、国民は親仏的で、政府が第一次世界大戦に中立を宣言したため、彼は失意のうちに病死した。

木戸 蓊]


カロル(2世)
かろる
Carol Ⅱ
(1893―1953)

ルーマニア国王(在位1930~40)。カロル1世死後、甥(おい)のフェルディナンド1世が後を継いだが、カロル2世はその長男。ドイツで士官の教育を受け、帰国して皇太子となったが、二度目の結婚ののち、悪評のある婦人との醜聞が問題になり、王位継承権を放棄して西欧へ亡命した。1930年に帰国し、息子のミハイ1世(在位1927~30、1940~47)を退位させて王位につく。ムッソリーニを崇拝し、ファシズム団体の鉄衛団を一時支援したが、38年に全政党を解散させて個人独裁を敷いた。40年に自らが接近した枢軸諸国とソ連に領土の3分の1を奪われ、同年9月に王位をミハイに譲って亡命、53年ポルトガルで客死した。

[木戸 蓊]


カロル
かろる
K. S. Karol
(1924―2014)

フランス在住の旧共産圏問題ジャーナリスト。ポーランドに生まれたが、1939年独ソによるポーランド分割で自動的に旧ソ連市民となり、ロストフ大学を卒業。1946年ポーランド国籍に復帰し、1950年パリに移住して『ヌーベル・オプセルバトゥール』誌や『ル・モンド』紙に寄稿し、共産圏の動向分析に健筆を振るった。『フルシチョフと西欧』『毛沢東(もうたくとう)の中国』『カストロの道』など多くの著作がある。

[木村明生]

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