翻訳|nonsense
日本語のなかで,〈ノンセンス〉という語と〈ナンセンス〉という語ははっきり区別されているわけではない。ある荒唐無稽なものごと,できごと,ことばがあるとして,それを〈たわいない,ばかばかしい〉と笑いとばして終りにすれば,その対象はナンセンスと呼ばれる。同じ対象を,〈ある意図〉をもった一つの〈しかけ〉として受けとめれば,それはノンセンスとなる。つまり,対象そのものの差ではなく,それに対する態度の差にかかわっているといえる。
ノンセンスの対立語は,センスよりもむしろコモン・センス(常識)と考えたほうがいい。人間の抱く〈現実〉の観念は,ある文化・社会の文脈のなかで,構成員間の無意識的合意(常識)の上に構成されている。この常識の枠を組みかえ,〈現実〉を過激な形でずらそうとするねらい(先述の〈ある意図〉)をもった〈しかけ〉はすべて,広義のノンセンスといえる。便器に署名して展覧会に出品したデュシャンや,ピアニストに4分33秒間なにも弾かせないことによって聴衆に〈沈黙〉と〈意図されなかったあらゆる音〉をきかせたJ.ケージなどは,最高のノンセンス芸術家であり,チャップリンやキートンのような無声映画のコメディアンも同様である。
しかし〈現実〉を構成するもっとも重要な要素は言語であるから,当然,言語の合意された意味(センス)や用法をかく乱することがノンセンスの最大の領域となる。ノンセンスとは本質的にメタ言語(言語についての言語)である。日常的言語では〈意味するもの〉(音や字)と〈意味されるもの〉がコインの表裏のように結びついているが,ノンセンスにおいては,〈意味するもの〉どうしが勝手に結びつく。いわゆることば遊びである。日常会話の単純なだじゃれや漫才のギャグから,童謡の早口ことばやなぞなぞ,枕詞や折句やアクロスティックなど手のこんだ詩的技法を経て,宗教的呪文にいたるまで,その範囲は広い。《万葉集》の,〈由(よ)る所無き歌(無意味な歌)〉を求めた舎人(とねり)親王の注文に応じたという安倍朝臣子祖父(あべのあそみこおじ)の歌〈吾妹子(わぎもこ)が額(ぬか)に生(お)ひたる雙六(すごろく)の牡牛(ことひのうし)の鞍の上の瘡(かさ)〉(巻十六)などは,日本最古のノンセンス文学の例であろう。江戸時代の狂歌や戯作にも多くの好例が見いだせる。
西洋でもノンセンス言語の伝統は古く,とくに道化が活躍するシェークスピア喜劇はその宝庫であり,また童謡集《マザーグースの歌》にあふれるノンセンスもイギリス人独特のユーモア感覚を培ってきた。〈おばあさんがひとり 丘の麓に住んでいました 行ってしまっていなければ きっとまだそこにいるでしょう〉などという同義反復のおかしさは,言語を功利的伝達の手段とみなそうとする近代主義的思考をめんくらわせるに足るものである。童謡の富を吸収して,19世紀中葉にノンセンス文学のジャンルを確立したのは2人のイギリス人であった。リメリックと呼ばれる詩型の戯詩に漫画をつけて《ノンセンスの絵本》(1846)を出版したE.リア,および専門の論理学を遊戯的に応用してノンセンスの可能性を十二分に展開した《不思議の国のアリス》(1865),《鏡の国のアリス》(1871)の著者L.キャロルである。ドイツに奇才モルゲンシュテルンが現れたのも19世紀後半だった。
キャロルたちのノンセンスは20世紀の前衛芸術のなかに鮮やかによみがえった。H.バルらの〈音響詩〉もその一種であるが,とくにシュルレアリストたちはことばとことばの偶然の出会いのなかに至高の美を求めた。たとえば,A.ブルトンとその仲間が集まって,1枚の紙片の上に,他人の書いた語を見ないで主語,動詞,目的語などを書きこむ。〈優美な屍が新しい酒を飲むだろう〉という文章ができあがり,以後この遊びは〈優美な屍cadavre exquis〉と呼ばれることになった。しかし現代文学が生んだ最大のノンセンス作品はジョイスの小説《フィネガンズ・ウェーク》(1939)であろう。ことば遊びを神話的次元にまで高め,〈現実〉の枠組みをまるごと組みかえてしまったこの奇作は,たしかに日常言語の常識からすれば〈ナンセンス〉あるいは〈狂気のたわごと〉にちがいない。なおビートルズのジョン・レノンはキャロルやデュシャンを熱愛したノンセンス作家・画家でもあった。テレビのコマーシャルなど,現代の特徴的メディアにも,ノンセンスの応用がしばしば見られる。
→言語遊戯 →笑い
執筆者:高橋 康也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…近代ヨーロッパの大きな過渡期は新しい笑いの生まれ出る過程でもあった。 ヨーロッパにはまた〈ノンセンス物〉と呼ばれる笑いの表現の伝統がある。風刺やパロディが社会批判の役割をもった攻撃性の強い笑いだとすれば,こちらは比喩や言葉遊びに基づいて〈おかしみ〉を楽しむ要素がより強い。…
※「ノンセンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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