クリンガー(読み)くりんがー(その他表記)Max Klinger

デジタル大辞泉 「クリンガー」の意味・読み・例文・類語

クリンガー(Friedrich Maximilian von Klinger)

[1752~1831]ドイツ劇作家小説家ゲーテレンツらとともに新文学運動を展開。戯曲シュトゥルム‐ウント‐ドラング(疾風怒濤しっぷうどとう)」がこの運動の名称となった。→シュトゥルムウントドラング

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精選版 日本国語大辞典 「クリンガー」の意味・読み・例文・類語

クリンガー

  1. [ 一 ] ( Friedrich Maximilian Klinger フリードリヒ=マクシミリアン━ ) ドイツの作家。その情熱的な戯曲「シュトルム‐ウント‐ドランク」は、当時の文芸思潮の名称ともなった。(一七五二‐一八三一
  2. [ 二 ] ( Max Klinger マックス━ ) ドイツの彫刻家、版画家。印象主義の手法をとり入れて独自の象徴的様式を創造した。「ベートーベン記念碑」「ニーチェの首」などを制作。版画には「手袋」「イブと未来」などがある。(一八五七‐一九二〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クリンガー」の意味・わかりやすい解説

クリンガー(Max Klinger)
くりんがー
Max Klinger
(1857―1920)

ドイツの彫刻家、版画家。2月18日ライプツィヒに生まれる。カールスルーエベルリン、パリで学んだのち、1888~1893年ローマに留学。以後主としてライプツィヒで活躍した。マレースベックリンの影響を受け、印象主義とアール・ヌーボーを取り入れて象徴的な独自の様式をつくりだした。大理石象牙(ぞうげ)、ブロンズなどを素材として使用した多彩色の『ベートーベン記念碑』を制作。版画では幻想的な『手袋』や『ブラームス幻想』の連作がある。1920年7月5日ナウムブルク近郊のグロースイエナで没した。

[野村太郎]


クリンガー(Friedrich Maximilian von Klinger)
くりんがー
Friedrich Maximilian von Klinger
(1752―1831)

ドイツの劇作家。ゲーテと交友し感化を受けた。ルソーシェークスピアの影響を受け、『悩む女』(1775)、『双生児』(1776)を書き、代表作『シュトゥルム・ウント・ドラング』(1776)は、封建体制と理性偏重の時代思潮に反抗する文学革新運動の名称となる。ザイラー一座の座付き作者を経てロシア軍に仕官、昇進を重ね貴族となる。ロシア時代の小説『ファウストの生涯と行動と地獄落ち』(1791)では、情熱と天才の賛美を離れ、豊かな人生体験に基づく懐疑的境地を示している。

[長屋代蔵]

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百科事典マイペディア 「クリンガー」の意味・わかりやすい解説

クリンガー

ドイツの彫刻家,版画家。ライプチヒに生まれ,パリ,ローマ等で学んだ後,1893年以降生地で活動した。おもに古典的主題を描いたが,印象主義ユーゲントシュティールの影響も認められる。彫刻では15年余りを費やして完成されたライプチヒにある《ベートーベン像》をはじめとする肖像,版画では《ブラームス幻想》《手袋》などが知られる。キリココルビッツらに影響を与えた。
→関連項目シュトゥルム・ウント・ドラング

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改訂新版 世界大百科事典 「クリンガー」の意味・わかりやすい解説

クリンガー
Friedrich Maximilian Klinger
生没年:1752-1831

ドイツの〈シュトゥルム・ウント・ドラング〉の劇作家。ゲーテの《ゲッツ》にならった《オットー》(1775),ルソーとシェークスピアの影響の下に天才の情熱と自由への渇望をえがく《双生児》や《シュトゥルム・ウント・ドラング》(ともに1776)などがあるが,ロシアにおもむいた後の小説《ファウストの生涯と行動と地獄落ち》(1791)では,天才主義から離れ,古典主義的教養思想への接近を示している。
執筆者:


クリンガー
Max Klinger
生没年:1857-1920

ドイツの画家,版画家,彫刻家。ライプチヒに生まれる。古典的主題の絵画やベートーベン像などの彫刻は,19世紀末ドイツの理想主義的な面を表している。しかし最近の評価は,《手袋》をはじめ,《イブと未来》《ドラマ》《死について》など連続形式の版画に向けられており,そこには近代生活の深層がリアルな物語的進行のなかに形象化されている。キリコ,コルビッツ,クビーンなどに大きな影響を与えた。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クリンガー」の意味・わかりやすい解説

クリンガー
Klinger, Max

[生]1857.2.18. ライプチヒ
[没]1920.7.5. ナウムブルク近郊グロースイエナ
ドイツの版画家,画家,彫刻家。カルルスルーエおよびベルリンで学ぶ。 1878年ベルリンのアカデミーに出品したペン画『手袋』の連作の怪奇性が物議をかもした。 83~86年パリ,88~93年イタリアを旅行。 93年以後ライプチヒに定住。 94年ベルリン・アカデミー会員。理想主義と自然主義の中間的な画風で人間の無気味な内的世界を表現する銅版画の連作は,質量ともに秀でている。 86年以後は絵画と彫刻に転じ,彫刻では多色大理石,青銅,琥珀,象牙などを用いた作品を制作。大作『ベートーベン坐像』 (1902) が有名。著書『彩画と素描』 Malerei und Zeichnung (1891) 。

クリンガー
Klinger, Friedrich Maximilian von

[生]1752.2.17. フランクフルト
[没]1831.2.25. タルトゥ
ドイツの小説家,劇作家。若きゲーテの援助でギーセン大学に学ぶ。ゲーテを中心として 1770年代に爆発した反啓蒙主義的な文学運動「シュトゥルム・ウント・ドラング」の呼称は,彼の情熱的な戯曲 ("Sturm und Drang"1776) からとられた。のち軍人となりロシア陸軍の中将となった。

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世界大百科事典(旧版)内のクリンガーの言及

【ドイツ美術】より

…様式的には古典主義,ネオ・バロック,リアリズムと変遷しながらも,主題の点では19世紀を通じて記念碑や人物の肖像および墓碑が一般に好んで取り上げられた。ダンネッカーJohann Heinrich von Dannecker(1758‐1841)の《シラー胸像》(1805‐10)やシャドウGottfried Schadow(1764‐1850)の《マルク辺境伯の墓碑》(1788‐91),ラウフChristian Rauch(1777‐1857)の《フリードリヒ大王》(1839‐51),画家としても知られるクリンガーの《ベートーベン像》(1899‐1903)らにこれをみることができる。19世紀中葉ミケランジェロやベルニーニの作品から感化を受けたベガスReinhold Begas(1831‐1911)が出たのちは,ヒルデブラントが再び厳格な古典主義の作風を確立して,ミュンヘンを中心に後世へ根強い影響を与えた。…

※「クリンガー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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