アメリカ西部開拓者。デービー・クロケットと呼ばれる。〈半身は馬,半身はワニ,……ミシシッピ川を踏み渡り,オハイオ川をひとまたぎ〉とみずから称した,なかば伝説的なフロンティア・ヒーロー。鉄砲の名手ともいわれる。テネシー州出身。1813-14年,アンドルー・ジャクソンの下でインディアン戦争に参加。ジャクソニアン・デモクラットとして,27年から都合3期,下院議員をつとめたが,途中でその庶民的名声を職業政治家に利用され,ホイッグ党に転じたため,選挙民の支持を失った。35年,最終的に議席を失った後,テキサスに渡り,そのメキシコからの独立を支援,アラモ砦の戦で戦死した。生前から,《デービッド・クロケット大佐の横顔と奇行》(1833),《デービッド・クロケットの生涯の物語》(1834)その他,彼の著作とされる作品で,フロンティア精神のユーモラスな化身となっていたが,死後は多数の《クロケット暦》まで出て,アメリカ西部民話の最大の主人公となった。
→トール・テール
執筆者:亀井 俊介
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アメリカの西部開拓時代の伝説的な辺境の英雄。普通「デービー・クロケット」として知られる。テネシーの辺境に生まれ育ち、腕ききの猟師、ライフルの名手として名をあげる。アラバマ南部でクリーク人の反乱を契機として起こった1813~14年のクリーク・インディアン戦争に従軍、アンドルー・ジャクソン率いる討伐軍の斥候となる。のち政界入りし、ジャクソン反対派に推されて27~31年と33~35年の2期、連邦下院議員を務めた。35年落選して、テキサス独立戦争を支援する義勇軍に加わり、36年3月6日、有名なアラモの攻防戦において戦死した。
[平野 孝]
…幕末・明治の文明開化期に,欧米から伝わった揚物料理クロケットを,日本風にアレンジした洋食の一種。欧米のクロケットは,ボイルもしくはソテーした魚貝,鳥獣肉,ハムなどをこまかく刻むか,またはそれらをすり身にし,これに,刻みタマネギと,スライスしたシャンピニオン,トリュフなどをソテーして加えた具に,ソース・ベシャメルやポテト・ピューレをあわせて好みの形をつくり,小麦粉,卵黄,パン粉の順に衣をつけて油で揚げ,トマトをベースにしたソースを添えるのが一般的である。…
※「クロケット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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