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グギ・ワ・ジオンゴ Ngũgĩ wa Thiong'o

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

グギ・ワ・ジオンゴ
Ngũgĩ wa Thiong'o

[生]1938.1.5. イギリス保護領東アフリカ,リムル
ケニアの作家。本名 James Thiong'o Ngugi。1960年代には James Ngugi名で作品を発表。ウガンダのマケレレ大学卒業後,イギリスのリーズ大学に留学。ケニアのナイロビ大学や,アメリカ合衆国のノースウェスタン大学で文学の講座をもったほか,学生時代からマケレレ大学の代表的文芸誌『ペンポイント』や『ズカ』の編集にも携わった。東アフリカで最初の英語小説『泣くな,わが子よ』Weep Not, Child(1964)は,1950年代ケニア独立闘争の母体となったキクユ人(→キクユ族)を主体とする反英独立闘争(マウマウ戦争)に巻き込まれていくある一家を中心に社会的混乱を描いたもので,質的にも高く評価され,1965年セネガルのダカールで開催された黒人芸術祭で最優秀賞を得た。また 1963年の独立前後に舞台を設定しながらも,フラッシュバックの手法でマウマウ戦争の傷あとを異なった面からとらえ直した『一粒の麦』A Grain of Wheat(1967)は,作品としていっそう熟し,独立闘争のなかでの人々の苦しみがよく描かれている。そのほか,1930年代の社会的混乱を背景にキリスト教と伝統宗教の板ばさみになった恋人たちを描いた『川を隔てて』The River Between(1965)などの小説や,短編集が多数ある。1977年に発表した大作『血の花弁』Petals of Bloodで独立後の黒人政権の無能,腐敗,裏切りを活写した。同 1977年,キクユ農村で識字運動に参加し,初めてのキクユ語による民衆劇『したい時に結婚するわ』Ngaahika Ndeenda(1980,グギ・ワ・ミリエと合作)を発表,おそらくその反体制的内容が理由で無裁判拘禁に処された。当時はナイロビ大学文学科長であった。約 1年後に勾留を解かれたが失職,のちロンドンに亡命,ニューヨーク大学教授などを経て,カリフォルニア大学アーバイン校教授となる。この間に,キクユ語による小説『十字架の上の悪魔』Caitaani Mũtharaba-inĩ(1980),『マティガリ――戦場の生存者』Matigari ma Njirũũngi(1986),大作『カラスの妖術師』Mũrogi wa Kagogo(2004)を発表。評論集も多数発表しており,現代アフリカのイデオローグとして代表的な位置に立つ。『精神の非植民地化――アフリカ文学における言語の政治学』Decolonising the Mind: The Politics of Language in African Literature(1986)では,政治拘禁後みずからの文学経歴を総整理し,英語で書く作家から民族語作家へ転身した動機と理由を,現代アフリカの政治,経済,社会,文化の状況を背景に確信をもって説明している。(→アフリカ文学

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