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グナイゼナウ Gneisenau, August Wilhelm Anton, Graf Neidhardt von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

グナイゼナウ
Gneisenau, August Wilhelm Anton, Graf Neidhardt von

[生]1760.10.27. トルガウ近郊シルダウ
[没]1831.8.23. ポーゼン
ドイツ,プロシアの軍人。 1782~83年イギリスの傭兵としてカナダでアメリカ独立軍と戦い,86年プロシア軍に入隊。イェナの会戦に参加したのち,1807年にはコルベルク (コウォブジェク) 要塞を守り抜いて認められ,参謀本部に入って,G.シャルンホルストおよび K.シュタインのもとでプロシアの軍制改革に尽力した。シュタイン罷免ののち,辞職して各地を歴訪。 13年にシャルンホルストの参謀長となり,その死後,参謀総長としてライプチヒの戦いなどの戦略を指導。 15年 G.ブリュッヒャー元帥の参謀長としてワーテルローの会戦に参加,フランス軍の側面を突いて,連合軍勝利の原動力となった。 16年以降はラインの第8軍団司令官に退き,25年元帥。 31年のポーランド蜂起に際し,鎮圧軍の指揮官としてポーゼンにおもむき,コレラで死亡した。

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百科事典マイペディアの解説

グナイゼナウ

プロイセンの将軍。1807年対仏戦でコールベルク要塞(ようさい)を死守して名をあげ,のちシュタインシャルンホルストの下で自由主義精神と結合した国民的軍隊の創設に努力。
→関連項目クラウゼウィツプロイセン改革

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デジタル大辞泉プラスの解説

グナイゼナウ

《Gneisenau》ドイツ海軍の戦艦。シャルンホルスト級。1936年進水、1938年就役の超弩級戦艦。第二次世界大戦中は、ノルウェー沖海戦などに参加。1945年、ゴーテンハーフェンの閉塞艦として自沈

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世界大百科事典 第2版の解説

グナイゼナウ【August Wilhelm Anton Graf Neidhardt von Gneisenau】

1760‐1831
プロイセンの軍人。ナポレオン軍に敗北後,K.シュタインやシャルンホルストらのもとで軍制の近代化と国民的軍隊の創設に努力,ライプチヒの戦(1813)やワーテルローの戦(1815)で参謀長として勝利に貢献する。その進歩的思想のゆえに保守派から〈ジャコバン〉として恐れられた。1831年,ポーランド人の反乱の拡大を阻止するためにクラウゼウィツとともに派遣され,コレラにかかり病没。【望田 幸男】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

グナイゼナウ
ぐないぜなう
August Gneisenau
(1760―1831)

プロイセンの軍人、軍制改革者。ナポレオン戦争でイエナの敗戦(1806)後コルベルクの要塞(ようさい)を死守して認められ、シュタイン、シャルンホルストらと軍制改革で中心的役割を果たした。解放戦争時にはブリュッヒャーの参謀長となってパリ入城を果たし、またワーテルローの戦い(1815)で勝利に貢献した。ベルリン総督、元帥となり、ポーランド反乱の鎮定に出陣中、ポーゼン(ポズナニ)でコレラにより死去した。[岡崎勝世]

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