日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
グリム(兄弟)
ぐりむ
Br
der Grimm
1812年、アルニムの勧めで『子どもと家庭のメルヒェン集』を刊行。1815年その第2巻を刊行。以後1857年の第7版まで、主としてウィルヘルムが手を入れて改訂版を出す。ヤーコプは、1807年から、ドイツを占領したフランスから指名されて王になったジェロームJ


1840年、兄弟そろってプロイセン王国のベルリン大学教授に招かれ、王室学士院会員となり、晩年はベルリンで過ごした。
兄弟は、口承文芸学分野では、メルヒェンのほかに『ドイツ伝説集』(1816、1818)を出した。法律学分野では、ヤーコプが『ドイツ法律古事誌』(1828)、『慣習法令集』(1840~1863)、語学分野ではヤーコプが『ドイツ語文法』(1819~1837)、古代・中世文学分野では、兄弟で『古エッダの歌』(1815)、ウィルヘルムが『古代デンマークの英雄歌謡』(1811)、『ローラントの歌』(1838)、『韻の歴史』(1851)などをそれぞれ発表した。[小澤俊夫]
グリム童話集
グリム兄弟はマールブルク大学在学中に、メルヒェンや伝説に興味をもち始め、1807年には聞き書きを始めた。1810年にはブレンターノの求めに応じて約50編の手稿を送った(この手稿は後年ブレンターノの遺品のなかに発見され、初版以前の姿を示す貴重な資料となった)。1812年、アルニムの仲介で、ベルリンのライマー社から『子どもと家庭のメルヒェン集』Kinder- und Hausm

グリム童話の語り手の「マリー」は、ハッセンプフルーク家のマリーばあやとされ、生粋(きっすい)のヘッセン農民であるマリーばあやの語った話であるから、グリム童話集は純ゲルマン的なものと長年解されてきた。ところが近年の諸研究により、同家の長女マリーであることが証明され、同家が16世紀にフランスから亡命したユグノー派の子孫であることから、その娘たちの話はフランスで好まれていた話だったことが判明した。
グリム兄弟は初版以後、各話に手入れをし、また話の入れ替えをしつつ、1857年の第7版に至るのであるが、その手入れは1815年以降は主として弟のウィルヘルムが受け持った。彼は、早い時期に出合ったビルト家などの娘の話は、かなり大幅に書き換えていて、魔女などの悪の性質を強調し、状況描写を増やし、創作の児童文学に近づいたということができる。他方1813年以降に知り合ったフィーメニンやハクストハウゼン家の人々の語ったものにはあまり手が入れられていない。つまり、いい語り手の語りとはいかなるものかを兄弟はよく知っていたといえる。
こうした手入れによって口伝えのメルヒェンからは離れたが、読み物や絵本として、長く子供たちに愛好されるものとなった。[小澤俊夫]
『高橋健二訳『グリム童話全集』全3巻(1976・小学館) ▽金田鬼一訳『完訳グリム童話集』全5巻(1981・岩波書店) ▽小澤俊夫訳『完訳グリム童話』全2巻(1985・ぎょうせい) ▽植田敏郎訳『グリム童話集』全3巻(新潮文庫) ▽矢崎源九郎他訳『グリム童話集』全5巻(偕成社文庫) ▽田中梅吉著『グリンム研究』(1947・矢代書店) ▽高橋健二著『グリム兄弟』(1968・新潮社/新潮文庫)』
[参照項目] |
| | | |