ドイツ南東部,バイエルン州の都市。人口12万5236(1999)。ドナウ川に沿い,河港をもつ。電機,化学,金属工業,織物,皮革製造が行われる。古称はラダスボナRadasbona(ラティスボナRatisbona)。古くから集落があったが,ローマの占領後179年城塞と屯営が設けられた。屯営は東西450m,南北530mで,その跡は旧市の町並みからうかがわれる。4世紀にゲルマン人に占領され,535年ころバイエルン族が来住してバイエルン大公の居城となった。670年ころ修道院が,739年司教座が置かれて南ドイツのキリスト教化の中心となった。カール大帝のころ王領となり,王国の集会が開かれ,ここからボヘミアへ出陣した。カロリング朝の崩壊後大公領となり,11世紀には領地が縮小した。レーゲンスブルクの黄金時代は商業の栄えた12~14世紀である。早くから市場が開かれていたが,12世紀にはロシアの商業中心地キエフやノブゴロドへ赴いて東方の産品を買い付ける〈ロシア行き商人〉がおおぜいいた。第2回と第3回の十字軍はここに集結して聖地へ向かった。イタリアとの商業も盛んで,ベネチアのドイツ人商館では同市の商人が首位を占めていた。商人の力と富を示すものは,ドナウ川にかかる長さ330mの〈石の橋〉(1146)や城のような豪邸である。イタリア風の塔のある邸宅が多く,かつては市中に60の塔がそびえていたといわれ,10層の〈金の塔〉はその代表。1245年に帝国都市となったが,14世紀以後ニュルンベルクやアウクスブルクの商人に押されて衰退した。1519年ユダヤ人を追放し,42年宗教改革に加担したが,89年にはイエズス会の学校が建てられた。1663-1806年間には帝国議会が市庁舎で開かれた。1809年ナポレオンの攻撃で被害をうけ,翌10年バイエルン領となる。ローマ時代の門,大聖堂ザンクト・ペーター(13~16世紀),ザンクト・エメラム修道院教会(8~12世紀)をはじめとする教会堂,旧市庁舎(14~15世紀),新市庁舎(17世紀)などの歴史的建造物が残る。
執筆者:諸田 實
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツ南東部、バイエルン州の都市。レーゲン川がドナウ川に合流する地点に位置する。人口12万5700(2000)。ドナウ川に河港をもち、鉄道・道路の結節点であることから商業都市としての性格が強い。中世を中心とした文化・芸術の遺産が多いことでも知られる。工業はつつましやかであるが、機械、化学、皮革、食品など多岐にわたっており、とくにソーセージの生産はよく知られている。また、バイエリッシャー・ワルト山地への観光拠点でもある。
ドナウ川に川中島があり、徒渉しやすい地点であることから、紀元前5世紀ごろにケルト人が集落を建設した。古称ラダスボナRadasbona。紀元後179年にはローマ人が渡河地点を確保するために城塞(じょうさい)と屯営を建設したが、4世紀にゲルマン人が占領した。739年に司教座が置かれて南ドイツのキリスト教の中心地になり、788年にはカール大帝の王領となった。12~13世紀が商業のもっとも栄えた黄金時代で、1245年には帝国都市となり、都市自治を獲得した。しかし、14世紀以後、ニュルンベルクやアウクスブルクなどにその地位をとってかわられた。1663年から1806年の間は帝国議会の常設開催地であった。その後1810年にバイエルン領となる。19世紀後半にドナウ川の水運と鉄道によって活気を取り戻したが、工業の飛躍的な発展には乗り遅れた。第二次世界大戦中、連合軍にしばしば爆撃されたが、かつての繁栄を示す中世の建物が生き残り、中世的雰囲気をいまに残している。多くの歴史的建造物が残るが、ザンクト・エメラム修道院(8~12世紀)、ドナウ川に架かる石橋(1135~46)、ゴシック様式のザンクト・ペーター大聖堂(1275~1524)、ドイツ帝国議会が行われた広間をもつ旧市庁舎(14~15世紀)などがある。
[石井英也]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ドイツ,バイエルン州,ドナウ河畔の都市。ローマ時代の要塞が基となり,8世紀に司教座が置かれた。1245年帝国都市となり,しばしば神聖ローマ帝国の帝国議会が開かれている。1663年召集の議会は以後解散されないまま1806年の帝国消滅まで続いたので,「永久帝国議会」と呼ばれた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…
【歴史】
[バイエルン大公国の成立]
アルプス以北の高原地帯には,紀元前1千年紀の半ば以降ケルト人が住み,ドナウ川流域の大都市マンヒングをはじめ,ここにもラ・テーヌ文化が栄えていた。紀元前15年のローマによる征服以後は,レーゲンスブルクが,ドナウ川以北に進出したゲルマン人に対する要塞都市として,またアウクスブルクが,ローマに通じる街道の要地として発達した。バイエルン部族の名が初めて歴史に登場するのは,ゲルマン民族大移動の末期,6世紀中葉のことであるが,その由来については,ボヘミア方面からこの地に移住したゲルマン人の一派とする説,ゲルマン人と並んで基層としてのケルト人(およびローマ人)を重視する説など,諸説がある。…
※「レーゲンスブルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新