現ネパール王国を建てた政治勢力の通称。正しくはゴルカGorkhā。現シャハ王朝の別名でもある。17~18世紀ころ西ネパールには〈22王国〉〈24王国〉と総称される数十の小王国が群立していたが,グルカ勢力は比較的遅く興り,カトマンズの西約80kmの町ゴルカを中心として急速に東西に力を伸ばした。1768年にはネワールの人々が築き上げたマッラ王朝の首都カトマンズを征服,現在に続くネパール王国を確立した。この軍事的成功の理由は初代の王プリトゥビ・ナラヤンの才能に帰せられることが多いが,経済面でのチベット交易の拠点の占領,南部の穀倉地域タライの確保,政治面での法律の整備,軍人,官吏に対する知行制の成功なども見のがせない。
グルカ勢力の中心はインド・ヨーロッパ語系のネパール語を母語として北インド的な文化をもつヒンドゥー教徒で内部はいくつかのカーストに分かれるが,中間諸カーストが欠落しているのが特徴である。高位のカーストはバウンBāhun(ブラフマン),チェトリChetri(クシャトリヤ)で,最下位にカミKāmi(鍛冶屋),サルキSārki(皮職人),ダマイDamāi(仕立屋)などが存在する。王家は広義のチェトリ・カーストに含められるタクリThakuriに属する。この人々の主生業は,軍人,官吏,カースト特有の職業のほか,米,小麦,トウモロコシを主体とする農業と牛,ヤギの飼育である。この人々が周辺のチベット・ビルマ語系の諸言語を母語とするマガル族,グルン族などの民族をも含みこんでつくりあげた政治・軍事勢力がグルカ勢力なのである。その政治・社会体系はヒンドゥー法に基づいて整備されたため,元来カースト制のなかった諸民族もそれぞれカーストと見なされ,上記のバウン,チェトリの下の欠落した所に位置づけられてきた。なお19世紀中葉からネパールはイギリスと友好的な関係をもち続け,インドにおけるイギリス軍に傭兵を提供してきたが,その傭兵は〈グルカ兵〉と呼ばれ,勇猛さで知られる。またそれはグルン,マガルその他の人々の重要な収入源となっている。
執筆者:石井 溥
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正しくはゴルカ。ネパール語を母語とするヒンドゥー教徒を中心に,周辺のエスニック・グループが加わってつくりあげられた政治・軍事勢力。1769年カトマンドゥのマッラ王朝を滅ぼして,ネパール王国(シャハ〈グルカ〉王朝)を立てた。西はクマオン,ガルワール,シムラー,北はチベット,東はシッキム,南はタライに勢力を伸ばしたが,グルカ戦争で敗れ,イギリスの保護国となった。グルカはインド軍の傭兵の主要供給源の一つであり,彼らは「グルカ兵」と呼ばれ,勇猛なことで知られた。
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