コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

小野田寛郎 おのだひろお

4件 の用語解説(小野田寛郎の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小野田寛郎
おのだひろお

[生]1922.3.19. 和歌山
元陸軍軍人。 1944年陸軍中野学校二俣分校を卒業,同年フィリピンに派遣され,遊撃戦指導のためルバング島に渡った。翌年8月の第2次世界大戦の終戦を信じず,降伏命令のビラを敵の謀略と考えて島内に潜行し続けた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

知恵蔵2015の解説

小野田寛郎

旧日本軍の陸軍少尉。太平洋戦争の終結後29年間、終戦を信じずにフィリピン・ルバング島に潜伏して戦い続け、1974年3月に帰還した。帰国後は、ブラジルに移住して牧場を経営した他、キャンプや講演を通じて日本の子どもたちにたくましく生きる力を伝えた。
1922年3月19日、和歌山県亀川村(現・海南市)生まれ。旧制中学校を卒業後、貿易商社に勤めて中国へ渡るが、徴兵されて42年に陸軍に入隊。久留米第一予備士官学校を経て、ゲリラ戦や情報戦を学ぶ陸軍中野学校二俣分校に入り、44年12月にフィリピン戦線に派遣された。45年8月の終戦後も、任務解除命令が届かなかったために仲間と共にルバング島で戦闘を続けた。終戦の情報や投降を呼び掛けるビラも米軍の謀略と疑い、朝鮮戦争ベトナム戦争へ向かう米軍機を見て大陸での戦争継続を確信するなど、終戦を信じなかったという。日本政府は、投降した元日本兵の証言などを基に50年代から何度も残留兵の捜索活動を行ったが発見できず、死亡したと見られていた。72年10月に小野田らがフィリピン警察と銃撃戦になったことで生存が分かり捜索が再開されたが、その後もなかなか見つけられなかった。74年2月、冒険家の日本人青年が接触に成功し、帰国に結び付いた。
帰国の翌年、兄が移住していたブラジルに渡り、原野を切り開いて牧場を始め、10年かけて軌道に乗せた。また、日本で起きた凶悪な少年事件に心を痛めたのをきっかけに、84年から日本で「小野田自然塾」を始めた。89年には財団法人を設立して理事長となり、自身のルバング島の体験を生かしてキャンプを通じた青少年の育成に力を注いだ。2005年に藍綬褒章を受章。14年1月16日、肺炎のため91歳で死去した。

(原田英美  ライター / 2014年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

小野田寛郎【おのだひろお】

陸軍軍人,実業家。第二次世界大戦敗戦後も日本の降伏を信じず,フィリピン・ルバング島で30年間ゲリラ戦を続ける。1974年3月にフィリピン軍に投降,日本に帰還した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小野田寛郎 おのだ-ひろお

1922-2014 昭和時代の軍人。
大正11年3月19日生まれ。陸軍少尉。離島残置諜者の訓練をうけ,昭和19年フィリピンのルバング島に派遣される。終戦を知らずにたたかいつづけ,49年に発見され,30年ぶりに帰国した。50年ブラジルにわたり,牧場を経営。59年福島県で子供を対象にした小野田自然塾をひらく。平成26年1月16日死去。91歳。和歌山県出身。陸軍中野学校卒。著作に「わがルバング島の30年戦争」「ルバング島戦後30年の戦いと靖国神社への思い」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の小野田寛郎の言及

【復員】より

…現在は厚生省援護局が遺骨収集・戦没者慰霊事業等の業務を担当している。この間,戦後30年経って旧軍人が発見され,72年2月に横井庄一がグアム島から,また74年2月に小野田寛郎がルバング島から帰還した。シベリア抑留引揚げ【梅田 欽治】。…

【ルバング[島]】より

…第2次大戦後30年近くにわたり敗戦を信じない日本兵がこの島にたてこもった。1974年3月,小野田寛郎元少尉の救出に成功したものの,ほかの兵士たちはそれまでに貴重な命を失っていた。【梅原 弘光】。…

※「小野田寛郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

小野田寛郎の関連キーワード近代太平洋戦争アジア太平洋戦争終戦方面軍旧日本軍の少年採用太平洋戦争とキスカ島ピースおおさかと改装計画太平洋戦争と豪州アジア・太平洋戦争

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

小野田寛郎の関連情報