共同通信ニュース用語解説 「コソボ」の解説
コソボ
旧ユーゴスラビア・セルビア共和国の自治州だった1990年代末、アルバニア系武装組織とセルビア治安部隊が戦闘。2008年2月、セルビアからの独立を宣言したが、セルビアは承認していない。人口約165万人のうち、アルバニア系が大多数でセルビア系は少数派。(プリシュティナ共同)
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旧ユーゴスラビア・セルビア共和国の自治州だった1990年代末、アルバニア系武装組織とセルビア治安部隊が戦闘。2008年2月、セルビアからの独立を宣言したが、セルビアは承認していない。人口約165万人のうち、アルバニア系が大多数でセルビア系は少数派。(プリシュティナ共同)
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ヨーロッパ南東部、バルカン半島中部の内陸国。正式名称はコソボ共和国。長くセルビア共和国南部の自治州であったが、2008年に独立を宣言した。日本を含む100か国以上が国家として承認しているが、国際連合(国連)には加盟していない。北大西洋条約機構(NATO(ナトー))の国際治安維持部隊(KFOR)と、ヨーロッパ連合(EU)の人権監視部隊(法の支配ミッション:EULEX)が駐留している。面積は1万0908平方キロメートル(岐阜県に相当)、人口158万6659人(2024国勢調査)。民族構成はアルバニア人92%、セルビア人4%、ボシュニャク人(スラブ系ムスリム)2%、その他(トルコ人、ロマなど)2%。宗教はイスラム教93.5%(スンニー派。アルバニア人の大半、ボシュニャク人、トルコ人)、キリスト教4.1%(カトリック2.3%=アルバニア人の一部、正教1.8%=セルビア人、アルバニア人の一部)など(2024国勢調査)。首都はプリシュティナ。
亜鉛、鉛など鉱物資源に恵まれているが、国内総生産(GDP)は約105億米ドル、国民1人当り6157米ドル(2023国連統計)と、ヨーロッパの最貧困地域の一つである。国際援助がGDPの約10%、ほかに欧米の移民・出稼ぎ者からの送金が17%ある(2015国際通貨基金)。EU非加盟であるが、通貨は国連暫定統治時代からユーロが使用されている。失業率は25.9%(2020コソボ統計局)と高く、大学卒業者を含む若者の多くは国外への移民・出稼ぎを希望する。独立宣言以降、70万人が出国し、ドイツ、スイス、スカンジナビア諸国、北米に計80万人(コソボ本体の約半分)が住むとされ(2020コソボ統計局)、コソボ本体の人口は横ばいから減少傾向にある。
[千田 善 2025年4月15日]
紀元前1世紀、ローマ帝国がイリリア人の国を滅ぼし、コソボを含む地域を帝国に組み入れた。一部の歴史家が、イリリア人がアルバニア人の祖先だとしているが、論争があり確定していない。その後、コソボはビザンティン帝国(東ローマ帝国)などの支配を経て、12世紀にセルビアの中心地となった。中世セルビア王国は14世紀なかばにはドゥブロブニク(現在のクロアチア南部の都市)からギリシアまでバルカン半島の大半を支配し、一時は帝国を自称するほど栄えた。しかし1389年の「コソボの戦い」で、セルビアを中心とするキリスト教連合がオスマン帝国側に敗れて以降、コソボは20世紀初めまで600年以上オスマン帝国の支配を受けた。「コソボの戦い」は吟遊詩人に歌いつがれて伝説となり、19世紀のセルビア民族運動の精神的支柱になるが、当時はセルビア側にアルバニア人の武将も参加し、オスマン帝国側にもセルビア人が参加していたのが実情で、民族・宗教対立を強調する伝説とは異なる部分も多い。
コソボは1878年にアルバニア人による民族組織(プリズレン連盟)が結成されるなど、アルバニア独立運動の有力な根拠地であった。しかしアルバニア独立(1912)の際にセルビアに組み入れられ、1918年には「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」(のちのユーゴスラビア王国)の一部になった。第二次世界大戦後の社会主義時代にはユーゴスラビア連邦のセルビア共和国内のコソボ・メトヒア自治区(のちコソボ自治州)となったが、1966年のユーゴ連邦副大統領ランコビッチ失脚まで秘密警察の強権支配が続いた。大統領チトーの晩年の1974年には、憲法改正により共和国並みに自治権が拡大された。輪番制の集団国家元首機関(連邦幹部会)にも代表を出し、1986年にはコソボ出身のアルバニア人作家ハサニSinan Hasani(1922―2010)がユーゴスラビアの国家元首を務めた。
コソボでは1968年と1981年に、自治権拡大を求める大規模な抗議デモが発生、セルビア政府の弾圧で多数の死傷者が出た。アルバニア系住民とセルビア系住民との対立が深まるなか、1989年にはセルビアのミロシェビッチ政権がコソボ州議会戒厳令を導入し、議会を解散させるなど自治権を剥奪(はくだつ)した。これに対し、穏健派のルゴバIbrahim Rugova(1944―2006)を中心とするコソボ議会のアルバニア系多数派は非合法政府を組織し、1990年にはコソボのユーゴスラビアからの独立を宣言した。一方、スロベニアなどほかの地域では、セルビアへの抗議とコソボへの連帯運動が広がり、これがユーゴスラビアからの独立運動に発展した。コソボ紛争は旧ユーゴ連邦解体のきっかけになった。
[千田 善 2025年4月15日]
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争後の1998年、アルバニア系過激派のコソボ解放軍(KLA)が活動を活発化した。アメリカは1990年代にKLAをテロ組織に指定していたが、1998年夏にこれを解除し、武器輸入を解禁したことで、KLAとセルビア治安部隊との武力衝突が急増し、各地で多くの難民が発生した。1999年3月、アメリカは国連の承認を得ずに「人道的介入」として、NATOによるセルビア全土空爆を実施。同年6月、コソボからセルビア側の軍と警察治安部隊が撤退したことにより、空爆は終了した。コソボは国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)の統治下に入り、NATO主導のKFORが展開した。
同1999年夏には東南部に米軍基地が新たに建設され、KFORの司令部が置かれている。
[千田 善 2025年4月15日]
アルバニア系が多数を占めるコソボ議会は、2008年2月にセルビアからの独立を宣言した。100か国以上がコソボ共和国を国家として承認したが、セルビアやロシアなどは承認していない。2013年、コソボはセルビアとの関係正常化に取り組むことで合意し、国際オリンピック委員会(IOC)など国際組織加盟を果たすが、2025年4月時点でも国連加盟は実現していない。2020年にはコソボの大統領サチHashim Thaçi(1968― 。元KLA指導者)が戦争犯罪容疑で起訴され、辞任した。
NATO空爆後から四半世紀以上経過した2025年4月時点でも、コソボから流出したセルビア系の難民二十数万人の帰還はほとんど実現していない。
コソボのセルビア系住民は北部ミトロビッツァ地方や各地の修道院周辺に住んでいるが、2023年の地方選挙ではセルビア系住民が投票をボイコットし、ミトロビッツァ地方のズベチャン市では投票率3%台でアルバニア系市長が就任した。この際、抗議するセルビア系デモ隊とコソボ警察、KFORが衝突し、多数の死傷者が出た。このように、独立宣言以後も、一部の地域では緊張状態が続いている。
[千田 善 2025年4月15日]
『柴宜弘編『バルカン史』(1998・山川出版社)』▽『千田善著『ユーゴ紛争はなぜ長期化したか――悲劇を大きくさせた欧米諸国の責任』(1999・勁草書房)』▽『梅本浩志著『ユーゴ動乱1999――バルカンの地鳴り』(1999・社会評論社)』▽『町田幸彦著『コソボ紛争――冷戦後の国際秩序の危機』(1999・岩波ブックレット)』▽『岩田昌征著『ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像』(1999・御茶の水書房)』▽『中津孝司著『南東ヨーロッパ社会の経済再建――バルカン紛争を超えて』(2000・日本経済評論社)』▽『長倉洋海著『コソボの少年』(2000・偕成社)』▽『ペーター・ハントケ著、元吉瑞枝訳『空爆下のユーゴスラビアで――涙の下から問いかける』(2001・同学社)』▽『百瀬宏・今井淳子・柴理子・高橋和著『国際ベーシックシリーズ5 東欧』(2001・自由国民社)』▽『大石芳野著『コソボ破壊の果てに 大石芳野写真集』(2002・講談社)』▽『千田善著『ユーゴ紛争――多民族・モザイク国家の悲劇』(講談社現代新書)』▽『柴宜弘著『ユーゴスラヴィア現代史』(岩波新書)』
基本情報
正式名称=コソボ共和国Republic of Kosovo
面積=1万0887km2
人口(2010)=183万人
首都=プリシュティナPristina(日本との時差=-8時間)
主要言語=アルバニア語,セルビア語
通貨=ユーロEuro
バルカン半島中部に位置する共和国。正称Republic of Kosovo。面積1万0887km2,人口211万(2007)。首都プリシュティナPriština(日本との時差=-8時間)。セルビアの自治州であったが、2008年2月17日にコソボ議会が独立を宣言し,同年3月18日に日本も国家として承認した。民族構成はアルバニア人92%,セルビア人5%,トルコ人など諸民族3%(2007)。言語はアルバニア語,セルビア語など。宗教はイスラム(主にアルバニア人),セルビア正教(セルビア人)など。大統領はセイディユFatmir Sejdiu(2006年2月就任),議会は一院制で定数120人,2007年11月の選挙でコソボ解放軍を母体とする独立急進派のコソボ民主党が37議席を占め,25議席のコソボ民主同盟と連立内閣を発足させた。セルビア系6政党も10議席を確保した。通貨はユーロEuroで,一人当り国内総生産(GDP)は1150ユーロ(2007)。
1999年6月以降,コソボは国連の暫定統治下に置かれ,その最終的地位をめぐり交渉と調停が続けられた。2007年3月,アハティサーリ国連特使(元フィンランド大統領)が国際社会の監視下でのコソボ独立を国連に勧告した。法の支配の確立とセルビア系住民との融和が,内政上の緊急課題である。
執筆者:編集部
領域は西部のメトヒヤMetohija地方と東部のコソボ地方に大別され,州名の正称はかつてはコソボ・メトヒア自治州(1945年以来の自治区が63年に州に昇格)であった。2500m級のプロクレティエProkletije山塊で北と西部を限られたメトヒヤは,ベーリBeli川,ドリムDrim川流域に広がる豊かな土地柄で,地中海式気候の影響から二毛作も可能である。おもな作物はタバコ,果物,野菜,ブドウ。地下資源は褐炭,クロムなど。中心地はペーチPeć(人口9万)で,中世セルビアの総主教座が置かれた修道院ペーチカ・パトリアルシア(13~14世紀)がある。ジャコビツァ(人口7万)近くにはデチャーニ修道院(14世紀)が建つ。プリシュティナのあるコソボ平原は標高600mで,鉱物資源に富み,褐炭,鉛,亜鉛,ニッケルは国内の50%近くを埋蔵する。イバルIbar川をはじめ多くの川で灌漑され,小麦,トウモロコシ,大麦が栽培されている。戦後プリシュティナは大学,飛行場をもつ中都市に変貌した。他に製材・化学工場のあるコソブスカ・ミトロビツァ(人口9万),中世の古い町ブチトルン(5万),グニラネ(7万),ウロシェバツ(9万),ステファン・ドゥシャン帝が建てた聖アルハンゲル修道院(14世紀)とシナン・パシャ・モスク(16世紀)が共存する古風なプリズレンPrizren(10万)がある。
コソボ地方の先住者はイリュリア人であるが,それは現代のアルバニア人の一部を形成したと思われる。やがてローマ帝国,ビザンティン帝国の支配下に入り,後者の弱体化に乗じて12世紀末セルビア人が占拠,先住者をアルバニアへ追放するかたちで中世セルビア王国を築いた。だが1389年オスマン・トルコ軍に大敗を喫し(コソボの戦),その汚名をそそいだ1912年の第1次バルカン戦争まで5世紀にわたるオスマン帝国の支配がつづく。この間イスラムに改宗したアルバニア人は,オスマン帝国のなかで,軍人などの形で出世し特権を享受するようになり,キリスト教徒(ラーヤ)にとどまったセルビア人を支配する形で故地へ戻りつつあった。さらに17世紀末に,オスマン帝国の支配を逃れるセルビア人のボイボディナ地方への集団移住がおこり,18世紀には,人口の激減したコソボへアルバニア人の大量移住が行われ,民族構成はいっそう複雑化した。
第1次バルカン戦争で勝利を得たセルビア軍は,オスマン帝国側について敗れたアルバニア人の多数居住するコソボを再び手に入れ,彼らの怨恨をかった。こうした歴史的背景が災いして,王国時代のユーゴスラビアにおいてはもちろん,第2次世界大戦後の社会主義ユーゴスラビアにおいても,コソボは最も開発が遅れ,大量の失業者を生んでいる。住民の大半を占めるアルバニア人は,これを経済的にも社会的にも差別されている結果であるとして強く反発し,しばしば騒乱を起こした。とくに1981年4月の事件では,一種の戒厳令がしかれたほどはげしいデモが相ついだ。自治州の共和国への昇格あるいは分離独立まで要求したといわれ,チトー亡き後のユーゴスラビアが抱える最も厄介な民族問題の一つとなった。
87年にS.ミロシェビッチがセルビア共和国幹部会議長に選出されて以後,コソボの少数派であるセルビア人の不満を吸収する政策を展開したため,アルバニア系住民の反発を呼び,90年1月の死者20人をだすデモを経て,同年9月アルバニア人の州議会議員は〈コソボ共和国〉樹立を宣言するにいたった。その後,分離独立をめざすコソボ解放軍(KLA)が結成され,98年春以降セルビア軍と武力衝突するにいたった。
執筆者:田中 一生
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