コタキナバル(読み)こたきなばる(その他表記)Kota Kinabalu

デジタル大辞泉 「コタキナバル」の意味・読み・例文・類語

コタ‐キナバル(Kota Kinabalu)

マレーシアボルネオ島北東部、サバ州都市。同州の州都南シナ海に面する。古くはアピアピと呼ばれる集落があったが、英国統治時代の1899年に植民地開発の拠点となる町ジェッセルトンが建設された。1967年より現名称になった。東にキナバル山があり、キナバル公園への玄関口としても知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コタキナバル」の意味・わかりやすい解説

コタ・キナバル
こたきなばる
Kota Kinabalu

マレーシア、サバ州の州都。旧名ジェッセルトンJesselton。人口35万4153(2000)。ボルネオ島北部、南シナ海に面する小湾に臨む港町で、東方にボルネオ最高峰のキナバル山(4094メートル)がそびえる。この地方がイギリス領になるとともに1899年に建設された。港の背後の丘上には近代的建物が並ぶが、海岸にはマレー人の水上家屋もみられる。ゴム木材の積み出しが盛んで、華僑(かきょう)も多い。国際空港があり、東南アジア各地と結び、日本からの直行便がある。また南方のテノムまで鉄道が通じる。

[別技篤彦]

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改訂新版 世界大百科事典 「コタキナバル」の意味・わかりやすい解説

コタ・キナバル
Kota Kinabalu

マレーシアの島嶼部,ボルネオ島のサバ州西岸の港湾都市。旧名ジェセルトンJesselton。人口30万7000(2000)。1899年建設。サンダカンにかわって1946年に州都となって以来経済発展が著しく,港の貨物取扱量は州内最大である。マレーシア国民大学の分校が開設され,教育・文化の中心地にもなった。海岸埋立地に南北に細長くのびる近代的市街地は,第2次大戦後にできたもので,南へひろがった官庁街の一画には新しいモスクが建てられ,イスラム教徒マレー人の増加を象徴している。マレーシアではクアラ・ルンプル,ペナンに次ぐ国際航空路要衝である。
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百科事典マイペディア 「コタキナバル」の意味・わかりやすい解説

コタ・キナバル

マレーシア,サバ州の州都。旧名ジェセルトン。北ボルネオ西岸,南シナ海に臨む港湾都市で,海陸交通の要地。ゴム,木材,漁貝を輸出。東方にキナバル山がある。ボルネオ観光の拠点で,空路の要地でもある。1899年創設。30万6920人(2000)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コタキナバル」の意味・わかりやすい解説

コタキナバル
Kota Kinabalu

マレーシア,ボルネオ島北東部,サバ州の州都。 1967年まではジェスルトンと呼ばれていた。南シナ海に面する貿易港でもある。年平均気温 27℃,年降水量 2000mm。 1899年にイギリス領北ボルネオの貿易港として建設された。第2次世界大戦末期にオーストラリア軍と日本軍の激戦地となり,戦後再建された。市街地が狭いため 1970年代に埋立てが進み,高層ビルや新住宅街が完成した。精粉,木工,石鹸,プラスチック製品などの軽工業が行われ,経済的にはホンコンとの結びつきが強い。住民の半分以上が中国人。人口5万 5997 (1980) 。

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世界大百科事典(旧版)内のコタキナバルの言及

【サバ[州]】より

…面積7万4000km2,人口181万(1991)。州都はコタ・キナバル。住民は土着のカダザン(ドゥスン)族(28%)が最も多く,次いで華人(21%),バジャウ族(12%)となり,マレー人は増加しつつあるがまだ3%にすぎない。…

※「コタキナバル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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