イギリスの政治家。農民の子としてサセックス州に生まれる。彼の家は11人の子沢山で,きわめて貧しかった。4年間学校に学んだあと,1819年からロンドンの叔父のところで店員,次いでキャラコ販売人として働き,28年独立してランカシャーに進出,31年みずからキャラコ捺染業を起こして成功し,32年にはマンチェスターに居を構えた。35年,アメリカを旅して最初のパンフレット《イギリス,アイルランド,そしてアメリカ》を出版して自由貿易と平和主義の立場を確立,38年からはマンチェスターの実業家を糾合して反穀物法同盟を結成,J.ブライトと協同して46年に同法の廃止を実現した。彼の主張と立場はその後も変わらず,50年代には,世論に抗してクリミア戦争を難じ,第2次アヘン戦争に反対した。次いで60年には,蔵相グラッドストンに助けられて,フランスとの間に自由貿易の通商条約(コブデン=シュバリエ条約)を締結した。同年贈られることになった男爵の位を辞退し,平民として生涯を終えた。
→マンチェスター学派
執筆者:村岡 健次
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イギリスの政治家。サセックスの農家に生まれる。父が農業経営に失敗したため親類に引き取られ、成人後キャラコ染色業を経営し成功、政治活動に入った。反穀物法協会に参加、1839年この組織が反穀物法同盟に発展すると、ブライトとともにその中心的指導者となり、穀物法を廃止に導いた。自由放任主義を唱えたマンチェスター学派の代表的人物で、自由貿易政策の主唱者であり、また小さな政府を唱え、海外に対する干渉に反対し、平和主義的立場を通したことでも知られている。
[岡本充弘]
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1804~65
イギリスの政治家,自由貿易運動のリーダー。マンチェスターでキャラコ捺染(なっせん)業で成功,1839年ブライトらと反穀物法同盟を組織した。41年より下院議員,46年穀物法廃止に成功,60年フランスと通商条約を締結し,フランスを自由貿易に転向させた。
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…こうした理論的背景のもと,自由貿易運動はイギリスにおいて1820年の〈ロンドン商人の請願〉をはじめとして20年代に高まった。39年の〈反穀物法同盟〉結成以後再び運動は高まりをみせ,R.コブデン,J.ブライトらの指導による運動の影響もあって,46年には穀物法廃止に至る。その後,自由貿易は60年の英仏通商条約等の一連の条約として結実するが,80年前後には早くも帝国主義時代の始まりの前にふきとんでしまった。…
…しかし38年にいたって,ブルジョア階級の間に穀物法への反感が著しく高まり,マンチェスターの商工業者が中心となって反穀物法協会(翌年,同盟に改組)を結成した。同盟は運動の先頭に,徹底的な自由貿易論者として知られるコブデンとブライトを立て,豊富な資金を用いて国会議員の選挙戦に干渉するなど,全国にわたって活発な穀物法撤廃運動を展開し,46年,ついにその目的を達し,イギリスは自由貿易政策を確立した。同盟の一つの特色は,終始,政治の圧力団体として活動したということで,目的の達成と同時に解散した。…
…1830年には世界初のリバプール・マンチェスター鉄道も開通した。1838年,R.コブデンらの努力により自治都市となり,自由貿易主義を主張したマンチェスター学派が反穀物法同盟などでイギリスの思想,政治をリードした。また1821年にはリベラルな論調で知られる《マンチェスター・ガーディアン》(現在の《ガーディアン》)紙が発刊された。…
※「コブデン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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