精選版 日本国語大辞典 「コンスタブル」の意味・読み・例文・類語
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イギリスの画家。サフォークの製粉業者の子に生まれた。この地方は小川や運河の多い土地で、その風物がそのまま題材になっている。若いころロンドンに出、1799年アカデミーに入学し、ウィルソンやオランダ派を模写し、ガーティンの手法に注目した。1802年アカデミーに入選したものの、このころから自分の行くべき方向が画壇と相いれないことを知り、帰郷して風景画に没頭する。生計のため肖像画も描きながらサフォークの風景を描いたが、画風を確立したのは40歳に近づいてからであった。終生同郷のゲーンズバラを敬愛していたが、自然を素直に愛し、静かな喜びを感じる点では通じるものがある。しかし、ゲーンズバラの軽みはなく、自然の事象の一つ一つに執拗(しつよう)に食い込んでゆく。画室から出て戸外に画架を立て、身近な風景を描いて緑を発見し、当時常套(じょうとう)化された褐色系の色調に革命的な改革をもたらした。完成作は戸外のスケッチをもとに画室で仕上げたが、視角に多少の変化をもたせ、光と色とで物象の現実的感覚を導入し、自然の掟(おきて)を守ろうとした。従来未解決の外光の問題が開けてくると同時に、ともすれば見落しがちな無名のものの存在という問題に先鞭(せんべん)をつけることになる。27年ハムステッドに移り、油彩スケッチの小品を多く残している。24年パリのサロンで『まぐさ車』などがドラクロワや印象派に刺激を与えた。
[岡本謙次郎]
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…しかし,いずれも独自の国民様式として定着するにはいたらず,時代による質的な差も目だつ。また少なくとも19世紀のJ.M.W.ターナー,J.コンスタブルの時代までは,ジャンルを問わず大陸諸国に与えた影響よりは受けた影響の方が大きかった。島国という地理的特殊性がイギリス美術にどれだけ作用しているかは微妙な問題であるが,様式の伝播という点からすれば,大陸諸国との間に時間的なずれがしばしば認められる(マネ,セザンヌ,ゴッホ,ゴーギャンなどの作品がイギリスで初めて本格的に紹介されたのが,ようやく1911‐12年の〈マネと後期印象派〉展によってであったというのは,その一例である)。…
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