フランスの地中海沿岸のカシスからマントンに至る一帯の総称。〈紺碧海岸〉の意。19世紀の詩人S.リエジャールの命名。サン・トロペ,サン・ラファエル,カンヌ,アンティーブ,ニース等の国際的に有名な保養地が並ぶ。山が海に迫り,奇岩景勝の地が多い。気候は温暖で,年間の日照時間は2800~3000時間と長い。降雨量は年間500~900mmだが,夏の乾燥が激しいため,植生と家屋はそれに適応した独特の景観を呈する。土地が狭隘で,交通が不便なため,フランス経済の発展から長く取り残されてきた。この地が避寒地として注目を引き始めたのは18世紀末からである。各国の王侯貴族が訪れ,第二帝政期には大いに賑わった。この地を愛した著名人にはコレット,プレベール,ルノアール,シニャック,ピカソと枚挙に暇がない。第2次大戦後,大量のバカンス客の受入れのため急激な都市化が始まった。都市化は沿岸部のみならず,いくつかの小谷に沿って内陸方向にも進行している。人口構成は保養地という性格を反映して高齢者の比率が高く,第3次産業,花卉栽培,香水等の産業だけでは若年人口の流出を防げない。環境保全と産業化促進の調和を図るため,電子産業の導入が進められている。ニース空港はパリのシャルル・ド・ゴール空港に次ぐ国際空港であり,イタリアとローヌ河谷を結ぶ高速道路も完成した。しかし土地の狭隘さが再び産業の発展を妨げる要因となっている。
→リビエラ
執筆者:浜田 眞之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランス南部、地中海岸の一部につけられた名称で、「紺碧(こんぺき)海岸」という意味。初めはカンヌとマントンの間、すなわちアルプ・マリティーム県の海岸だけをさしていたが、その後、西に延び、マルセイユ以東、イタリア国境までの海岸を総称するようになった。コート・ダジュールは気候に恵まれ、冬は暖かく、夏は雨が少なく、背後の山地で風も遮られ、絶好の海水浴場、保養地となっている。19世紀にニース周辺に療養者やイギリス人が、またカンヌ、モナコ、マントンなどに貴族や金持ちが集まり、避寒地として発展。第一次、第二次世界大戦の間にマルセイユからカンヌにかけての地域も海水浴場として開発され、第二次大戦後はいっそうの発展がみられた。なおイタリアの地中海沿岸一帯からコート・ダジュールまではリビエラとよばれる。
[青木伸好]
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