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サッファール朝 サッファールちょうṢaffārids; Ṣaffāriyān

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サッファール朝
サッファールちょう
Ṣaffārids; Ṣaffāriyān

ヤークーブ・イブヌル・ライス (在位 867~879) が創設したイランの王朝 (867~903) 。ヤークーブはシースターン地方出身の銅細工師 (サッファール ṣaffār) であったが,盗賊団に身を投じたのち,シースターン知事の軍司令官に登用され,867年反乱を起してシースターンを占領。次いでアフガニスタン,ケルマーン,ファールスをも征服,873年ホラーサーンターヒル朝を滅ぼし,イラン全域に強盛を誇った。しかし,876年バグダード遠征に失敗,フージスターンに退いて没した。弟アムルが跡を継いだが,900年バルフ付近においてサーマン朝のイスマーイールの軍に敗れ,903年サッファール朝は崩壊,その領地はサーマン朝の支配下に落ちた。

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世界大百科事典 第2版の解説

サッファールちょう【サッファール朝 Ṣaffār】

イラン南東部のシースターン地方を中心にしたイラン系王朝。867‐1495年ころ。銅細工師(サッファール)出身のヤークーブ・ブン・ライスYa‘qūb b.Laythが創設したので,この名で呼ばれる。彼は同時に任俠集団のアイヤールの長で,その力を背景にしてターヒル朝から独立し,その首都ニーシャープールを奪い,カーブルにまで勢力を伸ばした。次の君主アムル・ブン・ライス‘Amr b.Laythの時代には,アッバース朝のカリフから正式にホラーサーン,ファールス,シースターンにおける支配を公認された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サッファール朝
さっふぁーるちょう
affr

イラン南東部のシースターン地方を中心にしたイラン系王朝(867ころ~1495ころ)。銅細工師(サッファール)出身のヤークーブ・ブン・ライスが創設したので、この名でよばれる。彼は同時に任侠(にんきょう)集団のアイヤールの長で、その力を背景にターヒル朝から独立し、その首都ネイシャーブールを奪い、カブールまで勢力を伸ばした。次の君主アムル・ブン・ライスの時代には、アッバース朝のカリフから、正式にホラサーン、ファールス、シースターンにおける支配を公認されたが、10世紀初めにはサーマーン朝に、11世紀初頭にはガズナ朝によって一時シースターンを占領され、その宗主権下に存続を許されるようになった。さらに11世紀中ごろにはセルジューク朝に、13世紀にはイル・ハン朝に服属し、領土もシースターンに限られるようになった。サッファール家が名目的にせよ存続したのは、アイヤールや民衆の支持が無視できぬ力をもっていたためであった。[清水宏祐]

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