ブハラ(その他表記)Bukhara

デジタル大辞泉 「ブハラ」の意味・読み・例文・類語

ブハラ(Buxoro)

ウズベキスタン南東部の商業都市。古来シルクロードの要地。ブハラハン国の首都として繁栄。羊の飼育および羊毛加工業が盛ん。1993年に「ブハラ歴史地区」の名称で世界遺産文化遺産)に登録された。中世イスラムの伝承学者アル=ブハーリー哲学者・医学者イブン=シーナーの生地。

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精選版 日本国語大辞典 「ブハラ」の意味・読み・例文・類語

ブハラ

  1. ( Buhara ) ウズベキスタン共和国の都市。商業の中心。唐代の安国、西突厥に属した。七世紀にアラブ人の手に移り、九〇四年サマン朝の首都。ジンギスカンに占領され、のちシャイバーニー朝の首都。ボハラ。

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改訂新版 世界大百科事典 「ブハラ」の意味・わかりやすい解説

ブハラ
Bukhara

中央アジア,ウズベキスタン共和国にある都市。ザラフシャン川下流域の広大なオアシスに位置し,人口23万7400(2001)。ペルシア語,アラビア語ではBukhārā。最近の考古学的研究によれば,ブハラは後1世紀ころに建設され,以後今日に至るまで市域の移動は行われなかった。ブハラという都市名は〈仏教の僧院〉を意味するサンスクリットのvihāraから派生したと推定されているが,文献には7世紀の中国の史書に〈安国〉として初めて現れる。この時代のブハラはイラン系のソグド人都市国家で,ブハール・フダートBukhār Khudātと呼ばれた土着の王朝が支配していた。709年クタイバ・ブン・ムスリム指揮下のアラブ・ムスリム軍に征服され,アラブの移住に伴ってイスラム化が始まった。9,10世紀にサーマーン朝の首都となったブハラは,西アジア方面にトルコ系奴隷を供給する商業都市として繁栄するとともに,イスラム文化と,復興するイラン文化との一大中心地となり,イブン・シーナー,ルーダキーら多くの学者,詩人が輩出した。1220年モンゴル遠征軍の攻撃によって多大の被害を被ったが,都市は徐々に復興し,1500年のウズベク族による占領の後はブハラ・ハーン国の首都となった。16世紀以降ウズベク遊牧民の侵入と定着化との結果,マー・ワラー・アンナフルではトルコ化が進展したが,ブハラでは1920年代に至るまでイラン系のタジク語がトルコ系のウズベク語に対して優位を占め続けた。また,近郊にあるナクシュバンディー教団のバハー・アッディーン・ナクシュバンドの聖廟は中央アジア各地から多数の巡礼者を集め,ブハラは中央アジアにおける神秘主義の中心地としても知られた。18世紀末以後中央アジアとロシアとの商業関係が深まるなかでブハラは中央アジア有数の商業都市に成長し,20世紀初頭の都市人口は7万を超えた。1920年のソビエト革命後ブハラ人民ソビエト共和国(1920-24)の首都となったが,現在はウズベク共和国の一州都である。
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モスクとしては,南側にアラベスクなどを刻んだファサードを有するブハラ最古のマガク・イ・アッターリー(10世紀創設,12世紀および1547年再建),最大級の規模をもつカルヤーン(1514創設)と重厚なミナレット(1127)などがある。マドラサには,現存する中央アジア最古のウルグ・ベク(1418創設,1585修復),これに対面する規模雄大なアブド・アルアジーズ・ハーン(1652),精緻なタイル装飾で知られるミール・アラブ(1535),クケルタシュ(1569修復)などがある。墓廟としては,イスマーイールの墓廟(10世紀初期),チャシュメ・アイユーブ廟(12世紀創設,1380-85年ころ再建),サイフ・アッディーン・ブハールジー廟(13~15世紀),ウルグ・ベク廟(1585修復)などが挙げられる。以上のほか有蓋の市場ターク・イ・ザルガラン(16世紀),修道場フワージュ・ザイン・アッディーン(16世紀),屋外の礼拝場ナマーズガー(ムサッラー。12~17世紀),城砦(9世紀。現在,歴史・民俗博物館)などが主要な遺構である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブハラ」の意味・わかりやすい解説

ブハラ
ぶはら
Бухара/Buhara

中央アジア、ウズベキスタン共和国ブハラ州の州都。ボハラBokharaともいう。ゼラフシャン川が流れる低地に位置し、運河に面する。人口23万7900(1999)、27万7839(2019推計)。ブハラ州の地形はだいたい平坦(へいたん)で、降水量は少なく、カラクール種ヒツジの飼育地帯であり、養蚕も盛んである。それゆえブハラ市にその関連産業が発達している。とくに上等の巻毛羊皮、帽子、外套(がいとう)など、カラクール種ヒツジの加工製品は世界的に有名である。金糸・絹糸の伝統美術工芸品の製造でも知られている。また、天然ガスが産出し、ロシア中央部、ウラル、南カザフスタンにパイプラインで輸送されるとともに、工業の発達も顕著である。首都タシケントやトルクメニスタンの首都アシガバートに通ずる中央アジア鉄道の駅がある。シルク・ロードの重要地点として栄え、いまでも古い町並みが残る。1993年には世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[山下脩二]

歴史

イスラム時代以前の歴史には不明な点も多いが、遅くとも西暦1世紀には、現在の地に町が建設されていた。7世紀の中国文献で、ブハラは安国と記され、イスラム文献にブハール・フダートBukhār Khudātとみえる、イラン系ソグド人王朝の支配下にあった。アラブ軍の占領後、8世紀初頭から徐々にイスラム化し、9~10世紀にはサーマーン朝の首都となって、イスラム学術・イラン文化の中心地となった。1220年にチンギス・ハンによって破壊されたが、まもなく復興し、16世紀からブハラ・ハン国の首都として、西トルキスタンの政治・経済・文化の中心地となっていった。18世紀以降ロシアとの通商関係が緊密化するなかで、一大商業都市として発展した。革命によってブハラ人民ソビエト共和国(1920~24)の首都となったが、ウズベク・ソビエト社会主義共和国(1924~91)成立後、1928年にブハラ州の州都となった。1991年のソ連崩壊によるウズベキスタン共和国の独立によって、同国領となった。

[堀川 徹]

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百科事典マイペディア 「ブハラ」の意味・わかりやすい解説

ブハラ

ウズベキスタンの都市。ゼラフシャン川下流部のオアシスに位置する。カラクル羊の毛皮,綿花,絹織物,金糸刺繍(ししゅう),銅製の各種容器などを産する。古くからシルクロード上の要衝として知られ,9―10世紀にはサーマーン朝,16―19世紀にはブハラ・ハーン国の主都として栄えた。住民は,古来イラン系のタジク語を話す人々が多く,ブハラ・ハーン国以降,トルコ系であるウズベク人による支配が定着し,中央アジア全体のトルコ化が進んでもなお現代に至るまでタジク語がウズベク語に対して優位を占めてきた。ソ連になって1924年中央アジアの民族的境界画定でウズベク共和国に編入されたため同様の状況にあるサマルカンドとともに,ペレストロイカ期以降タジク文化の復興運動が活発化している。イスマーイール・サマン廟(10世紀)など建築遺物が多い。1993年,世界文化遺産に登録。なおブハラ西部の砂漠中にあるガズリは天然ガス産地として知られる。23万4700人(2009)。
→関連項目中央アジア

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブハラ」の意味・わかりやすい解説

ブハラ
Bukhara

ウズベキスタン中部,ブハラ州の州都。ゼラフシャン川下流部の三角州にあるシャフルド運河に臨む。1世紀頃に起源をもつといわれる古都で,709年アラブが侵攻したときは商業,手工業の町として栄えていた。9世紀サーマン朝の首都となり,10世紀カラハン朝,次いで西遼の支配下に入り,1220年モンゴルに,1370年チムール軍に占領された。 16世紀中頃ウズベクのシャイバーニー朝の首都となり,のちブハラ・ハン国の首都となったが,1868年ロシアの保護下に入った。 1920~24年ブハラ人民共和国の首都。 1950年代後半,付近で天然ガスが発見されてから急速に発展し,繊維 (絹,綿) ,アストラカン加工,食品などの工業があるほか,機械工業,金属細工の手工業も盛んである。サーマン廟 (9~10世紀) ,カリャンの塔 (12世紀) ,ウルグベク・イスラム教学院 (15世紀) などの建築記念物が多く保存される旧市街は,1993年世界遺産の文化遺産に登録。教育大学がある。首都タシケントの西南西約 450kmにあり,鉄道,空路で結ばれている。人口 24万 9600 (1991推計) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブハラ」の解説

ブハラ
Bukhārā[ペルシア],Buxoro[ウズベク]

ザラフシャン川下流のオアシスに位置する中央アジアの古都。古くはソグド人の都市国家として栄え,8世紀初めのアラブの征服後,イスラーム化が進展。サーマーン朝期からは中央アジアにおけるイスラームの学芸,ペルシア語文学の中心地となり,また幹線隊商路が交わる商業都市として発展。16世紀のシャイバーン朝以後,歴代のウズベク政権がここを首都とした。現在はウズベキスタン共和国ブハラ州の州都。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ブハラ」の解説

ブハラ
Bukhara

ウズベキスタン中南部にある商工業都市。ボハラ・ブカラとも呼ばれる
西トルキスタンにおける代表的なオアシス都市。1世紀ごろより史書に登場。隋・唐では安国として知られ,ソグド人が活躍。西突厥 (とつけつ) の支配下にあったが,8世紀初めにイスラーム勢力の侵攻を受け,9世紀にはサーマーン朝の首都となり,長くイスラーム文化が栄えた。16世紀にブハラ−ハン国が成立し,1866年帝政ロシアの保護国となったが,ロシア革命に伴って革命政権が樹立された。

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世界大百科事典(旧版)内のブハラの言及

【イスマーイールの墓廟】より

…ウズベキスタン共和国,ブハラの北西部に位置する墓廟。〈サーマーン家の墓廟〉とも呼ぶ。…

【市】より

…サファビー朝期には,フランス人の旅行家J.シャルダンの報告によると,毎日この広場が露天商の黒いテントで埋まったというから,常設店舗を補完する露店の市場であった。同じような状況は19世紀のブハラでも見られた。タジクの革命的文学者アイニーの自伝によると,ブハラ・ハーンの宮殿の前にあるアルグ広場は,処刑が執行された後,食料品屋,果物屋,菓子屋などの露天商に開放された。…

※「ブハラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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