メキシコ革命動乱期の農民運動の指導者。農地改革運動のシンボル的存在となった伝説的英雄。メキシコ市に隣接する伝統的な糖業地帯モレロス州の大農園(アシエンダ)に囲まれた小村アネネクイルコの小農の子に生まれた。モレロス州は19世紀末から20世紀初頭にかけて糖業の近代化と砂糖ブームにより急激な変化を経験したが,その結果大農園と周辺の村との間で土地や水利権をめぐる紛争が続発した。このような状況のなかで1910年5月村民を率いて武力で大農園に占拠された土地の奪還を図ったサパタは,その強い意志と優れた指導力によって,武装蜂起した農民運動の指導者となった。11年独裁者ディアス打倒と社会改革のプログラムを掲げたマデロの〈サン・ルイス・ポトシ計画〉に共鳴してマデロ運動と連帯し,その勝利に貢献。しかし,やがて政治の民主化を優先し農地改革の緊急性を理解しなかったマデロと対立し,同年11月農地改革の具体策を提唱した〈アヤラ計画〉を発表してマデロと決別した。以後一時北部の革命指導者ビリャと連帯し,14年革命の諸勢力が一堂に会したアグアスカリエンテス会議で農地改革を全国革命綱領として採択させるのに成功,メキシコ革命における農地改革の理念と実践に大きな影響を与えた。しかし,護憲主義を掲げる革命指導者カランサと対立し,その後ゲリラ戦に転じて中央政府に対し抵抗を続け,19年4月10日,連邦政府軍将校ヘスス・グアハルドによってチナメカ農園で虐殺された。
→メキシコ革命
執筆者:国本 伊代
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メキシコ革命の農民軍指導者。メキシコ市の南に隣接するモレロス州出身の小土地所有者で、1910年マデロの指導するメキシコ革命が始まると、翌11年3月貧農を率いてこれに参加した。しかし革命勝利後、土地改革に消極的なマデロ大統領と決裂し、同年11月、徹底した土地再分配と共同体的土地所有の復活を要求する「アヤラ・プラン」を発表、武装闘争を再開した。13年の反革命クーデター後も闘争を続け、14年の第二次革命の勝利後は、北部の貧農出身のビリャと同盟して国土の大半を占領した。しかし、15年には革命主流派(カランサ派およびオブレゴン派)に敗北した。以後モレロス州でゲリラ戦を続けたが、19年カランサ大統領の軍隊に暗殺された。しかし、サパタ派の土地改革要求は17年に制定された革命憲法に取り入れられ、以後メキシコの土地改革運動に大きな影響を与えた。
[野田 隆]
『ジョン・ウォーマック著、向後英一訳『サパタとメキシコ革命』(1970・早川書房)』
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1879~1919
メキシコ革命の農民軍指導者。モレロス州の小農出身。1910年に武装農民を率いて蜂起したが,マデーロ政権の政策に満足せず,同年11月,農地改革の具体策を提唱する「アヤラ計画」を発表した。一時,北メキシコの革命指導者パンチョ・ビリャと手を結び,14年,革命諸勢力が参集したアグアスカリエンテス会議で,農地改革を革命綱領のなかに認めさせることに成功したが,護憲派の統領カランサと対立し,19年4月暗殺された。
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…メキシコ革命動乱期の1911年11月28日,南部モレロス州の農民運動の指導者サパタによって発表された革命綱領。その中でサパタは,これまで支持してきたマデロ大統領との決別を表明し,農地改革の具体策として大農園(アシエンダ)によって不法に占拠された村の共有地ならびに水利権の返還,土地なき農民への土地の再分配,それに反対するものの土地の強制接収などを宣言した。…
…以後の運動は国家の体制内に位置づけられ,従来どおり教育,社会福祉などに限定されることになる。一方メキシコでは革命を契機に,この問題はE.サパタを中心とした共同体農民により,共同体的復権に依拠した解決を見るかと思われた。しかし,革命の性格がブルジョア的方向へ転換されたため,運動は憲法にいう努力目標へと収斂されることになり,のち国家体制への統合運動となっていった。…
※「サパタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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