日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャーンティラクシタ」の意味・わかりやすい解説
シャーンティラクシタ
しゃーんてぃらくした
Śātirakita
(725―784ころ)
インドの後期中観(ちゅうがん)学派(大乗仏教の一派)の学僧。寂護と訳す。東インドのザホル(またはガーウル)出身。ナーランダーに学んだのち、ネパールに移り、さらにチベット国王チソンデツェンの招請でラサに行き大乗仏教を説いた。のちチベットに再度入国し、ナーランダーの学僧パドマサンババ(蓮華生(れんげしょう))を迎え、ともに力をあわせてサムエ寺を建立、中インドから説一切有部(せついっさいうぶ)(部派仏教の一つ)の学僧12名を招いた。以後約13年間にわたって大乗仏教や密教をチベットに広め、不慮の難にあって没した、と伝えられる。彼は学徳兼備の学僧として知られ、中期中観派のバビヤ(清弁(しょうべん))の学説を継承するとともに、ダルマキールティ(法称(ほっしょう))の知識論の影響を強く受けているが、中観派と唯識(ゆいしき)派(瑜伽行(ゆがぎょう)派)との学説を総合し、独創的な理論体系と実践論を形成した。そこで彼の学系は瑜伽行中観派といわれ、カマラシーラ(蓮華戒)に継承された。主著に、約4000頌(じゅ)からなり、当時のインドの諸哲学思想をはじめ仏教諸哲学の理論を解説批判した『タットバ・サングラハ』(真理綱要)および彼自身の中観哲学を打ち出した『中観荘厳(しょうごん)論』がある。
[瓜生津隆真 2016年11月18日]
『塚本善隆他編『仏教の思想3 空の論理〈中観〉』(1969・角川書店)』▽『一郷正道著『中観荘厳論の研究』(1985・文栄堂書店)』