パドマサンババ(読み)ぱどまさんばば(英語表記)Padmasabhava

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パドマサンババ」の意味・わかりやすい解説

パドマサンババ
ぱどまさんばば
Padmasabhava

生没年不詳。8世紀にチベット入りしたインド密教高僧。ペマジュンネエPadma byu gnas(蓮華生(れんげしょう))、グル・リンポチェGuru rin po che(師なる宝)、また西北インドの出身地名からオギェン・グルO rgyan guruの尊称で知られる。チベット王チソンデツェンに招かれ、サムエ大寺院建立に際して土地の悪霊・悪鬼を退治して地鎮を行い、ほかに数々の神変奇跡を現じてチベット古派密教の最上の祖師として尊敬された。一般庶民の渇仰の中心となった点で、日本の弘法大師(こうぼうだいし)信仰に類似している。彼に関して、『ペマ・カータン』Padma bka thaをはじめ多くの奇瑞(きずい)・霊験談が語られているが史実とはいえない。

川崎信定 2016年12月12日]

『金子英一著『パドマサンバヴァ伝とサムイエー寺』(山口瑞鳳監修『チベットの仏教と社会』所収・1986・春秋社)』『W. Y. Evans-WentzThe Tibetan Book of the Great Liberation (1954, London)』

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改訂新版 世界大百科事典 「パドマサンババ」の意味・わかりやすい解説

パドマサンババ
Padmasaṃbhava

8世紀ころのインド密教の行者。生没年不詳。インドのタントラ仏教を初めてチベットにもたらした人物として象徴的存在。その系統に連なるチベット仏教ニンマ(古)派には,彼に関して多くの伝説が伝えられているが,確実なことはほとんど知られていない。ただ今日の研究により,シャーンタラクシタの第2回入蔵に際しチベットに入り,奇跡を示してボン教徒を仏教に改宗させ,775年のサムイェー寺定礎に立ち会い,その後チベットを去ったとされている。
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百科事典マイペディア 「パドマサンババ」の意味・わかりやすい解説

パドマサンババ

8世紀ころにチベットへ仏教を伝えたインド人学僧。生没年不詳。漢訳名は蓮華生。ラマ教ニンマ派始祖とされる。775年サムイェー寺の建立に関与したとされ,密教を布教した。
→関連項目バルド・トエ・ドル密教

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パドマサンババ」の意味・わかりやすい解説

パドマサンババ
Padmasaṁbhava

インドの僧。チベットに仏教教団が設立されたときに協力したスワット出身のタントリスト。チベット名ペマチュンネ。ティソンデツェン王がシャーンタラクシタ忠告により国内ポン教徒の抵抗を除くため,呪術師として招いた (773) が,タントラ仏教の普及を望まなかったので長くとどまらせなかったらしい。後代ではニンマ派の教祖とされる。

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世界大百科事典(旧版)内のパドマサンババの言及

【ウシ(牛)】より

…例えば,古代エジプトにおいてアピスApis牛といわれる牛がいた(図2)。それは聖牛であり,メンフィスのハトホルの神殿に一定期間飼われ,聖牛として人々の信仰の対象となった。そしてその期間が終わると盛大な儀式ののちナイル川に沈められた。…

【ハゲワシ(禿鷲)】より

…日本にはクロハゲワシAegypius monachusがまれな冬鳥または迷鳥として渡来する。コンドル【竹下 信雄】
[象徴,民俗]
 ハゲワシは古代エジプト人にとって太母神,特にハトホルを象徴する聖鳥である。ギリシアやローマでは,軍神になる以前は豊饒神であったアレス(マルス)にささげられ,またゼウスの頭から飛びだしたアテナ(ミネルウァ)を示すシンボルともされた。…

※「パドマサンババ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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