シャー・ナーメ
Shāh nāma
《王書》を意味し,フィルドゥーシーがペルシア語で作詩したイラン最大の民族叙事詩。980年ころアブー・マンスール編《散文王書》等を主たる資料として作詩に着手し,30年余の長年月にわたり作詩に没頭し,1010年ついに完成,ガズナ朝のマフムードに献じた。マスナビー詩形,約6万対句からなるこの大作は,イランの神話,伝説・伝承,歴史の集大成で,イラン建国から7世紀半ばのササン朝滅亡に至る4王朝歴代50人の王者の治世が述べられている。人類の祖カユーマルス王から始まる最初の2王朝は完全な神話・伝説王朝であるが,作品中の圧巻である。単なる王者の治世記録ではなく,史料的価値は乏しく,文学作品として優れ,ペルシア文学最高傑作の一つに数えられる。勇者ロスタムの活躍をはじめ,多くの武勇伝,ロマンス,悲劇に満ち,宿命論が作品の基調をなし,この書を読むことはイラン人の義務とさえいわれ,最大の文化遺産とされている。
執筆者:黒柳 恒男
美術表現
この物語に基づく絵画的表現の最も古い例としては,後に他の物語と共に《シャー・ナーメ》に集成されたと考えられるロスタムにまつわる物語の描写があり,ペンジケント出土のソグド時代の壁画(7~8世紀)に描かれている。現存するイスラム時代の最古の例は,13世紀のミーナーイー手(色絵)陶器(フリーア美術館)に描かれた〈ビージャンとマニージェ〉の情景であるが,写本挿絵の例は14世紀以前にはさかのぼらない。《シャー・ナーメ》の挿絵は,数あるイランの文学書のなかで最も頻繁に,しかも多様に描かれてきた。写本芸術のパトロンであった王侯貴族が特にこの叙事詩に好んで挿絵を描かせたのは,それが諸王や英雄の波乱に満ちた生涯における劇的な竜退治,息詰まる合戦,壮絶な一騎討ち,甘美なロマンスなど,好個の帝王主題であったためである。代表的な作品としては,イラン絵画史上傑作に数えられている旧〈デモット〉本(1330-40)や〈ゴレスターン〉本(1429-30),〈ホートン〉本(1527-45。メトロポリタン美術館)などがある。
執筆者:杉村 棟
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シャー・ナーメ
しゃーなーめ
Shāh-nāme
「王書」を意味するペルシア語で、フィルドウスィーの筆になるイラン民族叙事詩。ササン朝最後の皇帝の命により、イラン諸王の歴史は7世紀前半に『ホダーイ・ナーマグ』と題して中世ペルシア語で編纂(へんさん)され、8世紀なかばにイブヌル・ムカッファーにより『ペルシア諸王伝』としてアラビア語に翻訳されたが、原典、訳書ともに散逸した。10世紀にイラン系サーマーン朝が樹立されると民族意識が高まり、イラン固有の神話、伝説、歴史を編纂する気運が生じ、10世紀前半に韻文、散文による数種の作品が出現したが、これらもすべて散逸。10世紀後半、サーマーン朝宮廷詩人ダキーキーが同じ題材で制作に着手したが、1000句の段階で殺害され未完に終わった。アブー・マンスールの命により957年に完成した散文『王書』に主として拠(よ)り、三十有余年かけて完成した作品がイランの誇る民族詩人フィルドウスィーの『シャー・ナーメ』である。約6万句からなるこの叙事詩は人類の祖、最初の王カユーマルスからササン朝最後の王に至る神話、伝説、歴史を収める。イラン民族最大の文化遺産として、ペルシア文学最高傑作の一つに数えられている。
[黒柳恒男]
『黒柳恒男訳『王書』(1969・平凡社)』▽『黒柳恒男訳編『ペルシアの神話――王書より』(1980・泰流社)』
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「シャーナーメ」の意味・わかりやすい解説
シャー・ナーメ
《王書》と訳される,ペルシアの詩人フィルドゥーシー作の長編叙事詩。1010年完成。約6万対句のマスナビー詩形からなる。数多くの武勇伝やロマンス,悲劇を収め,宿命論的な基調のなかにイランの神話や伝説,歴史を集大成したペルシア文学史上最高の傑作といわれる。
→関連項目ダキーキー
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シャー・ナーメ
Shāh-nāme
イラン最大の長編民族叙事詩。邦訳名『王書』。マスナビー詩形により約6万対句から成る。フィルダウシーによって約 35年の歳月をかけて 1010年に完成,ガズニー朝のスルタン,マフムードに献呈された。イラン民族固有の神話,伝説を基礎として,天地創造から7世紀なかばのササン朝滅亡にいたるイラン歴代の王者や英雄の事績を,アラビア語彙をほとんど介入させない純粋のペルシア語をもってうたいあげたもので,イラン民族文学の最高傑作とされる。
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シャー−ナーメ
Shāh Nāme
10世紀後半のイラン民族詩人フィルドゥシーの長編叙事詩。『列王紀』と訳す
「王の書」の意。6万句からなる近世ペルシア文学中の代表的大作。イラン建国の神話からササン朝末期の歴史までイスラーム以前のイラン史を扱い,その性質上きわめて民族的である。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
『シャー・ナーメ』
Shāh-nāma
「王書」を意味する,イランの大民族叙事詩。10世紀にダキーキーが一部詩作したのち,11世紀にフィルドゥシーが長年月をかけて完成した。イラン建国から7世紀までの神話,伝説,歴史が詠まれている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典(旧版)内のシャーナーメの言及
【イスラム美術】より
…この時代の絵画の特質は,中国から霊芝雲,土坡,竜,鳳凰などのモティーフをはじめとし,写実的描法,俯瞰的構図,巻子(かんす)本を思わせる横長の構図,白描画的筆法などの画法や技法が伝えられたことである。イブン・バフティシュの《動物の効用》のモーガン図書館本(1299ころ),文人宰相ラシード・アッディーンの《集史》のエジンバラ大学本(1307)とロンドン王立アジア協会本(1314),イランで最も人口に膾炙したフィルドゥーシーの民族英雄叙事詩《シャー・ナーメ(王書)》のデモット本(14世紀中期),《カリーラとディムナ》のイスタンブール大学図書館本(1360ころ)などが代表的な作品である。なかでも,〈大判のシャー・ナーメ〉の別名で呼ばれているデモット本は,ペルシア様式と宋・元の様式が完全に融合しているとは言い難いが,調和のとれたペルシア絵画の傑作といえる。…
【ペルシア文学】より
…同じ世俗文学でも〈歴史・伝記文学〉に属するものに,《フワダーイ・ナーマグ(王の書)》がある。フィルドゥーシーの《[シャー・ナーメ]》に基本的素材を提供したのは,本書であったと考えられている。伝記文学では,ササン朝の創始者アルダシール1世の出生から即位までを,伝統的モティーフを取り込みながら物語る《カールナーマグ・イー・アルダシール・イー・パーパガーン(パーパクの子アルダシールの行伝)》がよく知られている。…
※「シャーナーメ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」