シュチェチン(読み)しゅちぇちん(英語表記)Szczecin

デジタル大辞泉 「シュチェチン」の意味・読み・例文・類語

シュチェチン(Szczecin)

ポーランド北西部の都市。ドイツ語名シュテッティン。オーデル川河口に位置し、ドイツとの国境に近い。同国有数の港湾都市造船業、水産業が盛ん。14世紀にハンザ同盟加入スウェーデン領、プロイセン領を経て、第二次大戦後にポーランド領となった。14世紀建造のポメラニア公の居城だったシュチェチン城、聖ヤコブ大聖堂などの歴史的建造物が残る。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュチェチン」の意味・わかりやすい解説

シュチェチン
しゅちぇちん
Szczecin

ポーランド北西部、ザホドニオポモジェ県の県都。人口41万5576(2001)。オドラ(オーデル)川河口左岸に発達する港湾都市で、ポーランドの重要港。ドイツ名シュテッティンStettin。ドイツ国境に近く、ベルリンは南西130キロメートルにあって、第二次世界大戦前まではベルリンの外港であった。埠頭(ふとう)など港湾施設は優れているが、シュチェチン湖、ドンビエ湖という水深の浅い湖を経てバルト海へ出るため、大型外洋船の入港に困難がある。貨物取扱量でグダニスクとほぼ並ぶポーランド第二の要港で、シロンスク地方の石炭コークスを最大の輸出品とし、最大の輸入品は鉄鉱石である。内陸国のチェコスロバキアに国際協定によって港湾の一部を提供している。工業は造船業を筆頭に機械工業、化学工業、金属加工、水産加工、製紙セメント工業が重要である。

 7~8世紀にスラブ人集落として開かれ、1124年にはポモジェ(ポメラニア)地方最大の都市となった。1278年にハンザ同盟に加入して繁栄したが、15世紀以降はドイツ人の東への漸進とともに植民化が進み、しだいにプロシアの影響を受けるようになった。のちにデンマーク、スウェーデン、ブランデンブルク、プロシアが領有を争った。18世紀にはオドラ川とエルベ川を結ぶ運河が開通し、広い中部ヨーロッパを後背地として繁栄した。第二次世界大戦後ポツダム協定によってポーランドへ編入された。

[山本 茂]

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改訂新版 世界大百科事典 「シュチェチン」の意味・わかりやすい解説

シュチェチン
Szczecin

ポーランド北西部,同名県の県都で,人口41万3294(2004)。ドイツ名はシュテッティンStettin。バルト海に面し,オーデル河口左岸に発達する港湾都市で,貨物取扱量でグダンスクに次ぐ第2の重要港。埠頭など港湾施設は優れているが,前面にシュチェチン湖など浅い湖があり,大型外洋船の入港に難がある。石炭,コークスを最大の輸出品(1176万t,全取扱量の44%。1979)とし,輸入では鉄鉱石が多い。工業では造船業を筆頭に機械工業,化学工業(同県の硫酸は全国生産の40%,リン肥料は41%。1978),金属工業,水産加工,製紙,セメント工業が重要である。10世紀にスラブ人集落として開かれ,1124年にはポモジェ地方最大の都市となった。1360年にハンザ同盟に加入し繁栄したが,15世紀以降,ドイツ人の東漸とともにしだいにプロイセンの影響下に入った。18世紀にはオーデル川とエルベ川を結ぶ運河が開通し,中部ヨーロッパを後背地として繁栄した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュチェチン」の意味・わかりやすい解説

シュチェチン
Szczecin

ポーランド北西部,ザホドニョポモルスキェ県の県都。ドイツ語ではシュテッティン Stettin。バルト海から 65km南方のオドラ川 (オーデル川 ) 河口付近に位置するポーランド最大の港湾都市。 10世紀後半ミエシコ1世によりポーランド領に加えられ,10~11世紀に水陸両路の貿易中心地として繁栄し,1360年にはハンザ同盟に加入。 1637年からブランデンブルク辺境伯領,1648年からスウェーデン,1720年からプロシアに属し,1945年ポーランド領に戻った。バルト海の主要港で,チェコ,スロバキア,ハンガリー,ドイツも後背地に含まれる。おもな輸出品は石炭,コークス,鉄鉱石。造船をはじめ化学,金属,機械,石油精製などの工業が行なわれ,食品加工,製紙,建材などの工業も大きな比率を占める。文教都市でもあり,各種の高等教育機関,図書館,西ポモージェ博物館,劇場があり,交響楽団をもつ。人口 41万 5399 (2002) 。

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百科事典マイペディア 「シュチェチン」の意味・わかりやすい解説

シュチェチン

ポーランド北西端,オドラ川河口の港湾都市。ドイツ名はシュテッティンStettin。シュチェチン湖を経てバルト海に通じ,ベルリンと運河で結ばれる。西ポモジェ地方の学術・工業の中心地で,ポーランドばかりでなくドイツ,チェコにとっても重要な貿易港。造船,機械,化学,食品加工などの工業が行われる。中世にはハンザ同盟都市として栄え,1648年―1720年はスウェーデン領,以後プロイセン領となり,第2次大戦後ポーランド領。41万100人(2011)。

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世界大百科事典(旧版)内のシュチェチンの言及

【ポモジェ】より

…ポモジェ地方はポーランドとプロイセンの勢力が複雑にかかわりあった歴史をもつが,1945年のポツダム会談でその大部分がポーランド領となった。現在の行政区分ではシュチェチン,コシャリン,スウプスク,グダンスク,エルブロンクの5県にほぼ相当する。ビスワ川とオーデル川の間の地で,北はバルト海,南はバルタ川とその支流のノテチ川で囲まれる範囲である。…

※「シュチェチン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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